医師のみなさまへ

2019年5月1日

第2回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【入選】

「温かな赤ちゃん」

宮原 玲子(61)鳥取県

 ナースとして34年間、その後半の18年を手術室で働きました。10年前のある帝王切開手術のことは、今も忘れることが出来ません。

 夜中まで手術が立て込んで、手術室の片付けや手術器具の後始末がやっと終わりかけた頃、遠くの方からだんだん近づいて来る救急車の音がしました。1階の救急室に止まった途端、
「サイレンの音を聞くと、いつも緊急手術になったらどうしようと、ビクビクしてしまうわ」

 一緒に夜勤をしている新人ナースは、ユニフォームの胸もとに手を当てながら顔をゆがませました。

「就職してから半年もたつのに、救急車の音くらいでまだビビってるのん」

 私は笑いとばしました。

 片付けが終わり、空が白みかけた頃の出来事でした。手術室の入口をドンドンドンと、力任せにたたく音がしました。

「緊急帝王切開の手術だ! 全ての責任は僕がとる。早く準備してくれ」

 産科のドクターの声に、私はあわてて飛び出しました。

「急いで手術の準備をして!」

 相棒のナースに大声で叫びました。そして救急車の寝台に横たわり、宙を見つめたままの患者さんに、
「大変でしたね。ドキドキするようでしたら、目を閉じていらしてもいいですよ。ずーっと、おそばにおりますから、何でもおっしゃってくださいね」

 努力して落ち着いた声をかけました。

 1秒でも早く赤ちゃんを出して、人工呼吸を始めなければならない状態でした。全身麻酔がかかると、産科のドクターはみごとな手さばきで赤ちゃんを素早く取り上げました。けれども全身の皮膚は黒紫の色をしており、小児科のドクターが受け取るときの赤ちゃんの頭や手足は垂れ下がっていました。

 手術介助していた私は、血液を肺に吸い込まないように、準備していたガーゼで口や鼻の周囲についた血液をぬぐいました。

 しかし赤ちゃんは産声を上げることができず、小児科の二人の当直医により懸命な蘇生が始められました。

 赤ちゃんが出たあとの子宮からは、泉が湧き出るような勢いで血液が噴き出てきます。私はなるべく早く止血用の手術器具をドクターに手渡しました。

 止血できた子宮を縫合し、腹壁を閉じている間も、赤ちゃんの心臓や肺の機能を測る器械からは警告のアラームが鳴り続けていました。

 最後まで、赤ちゃんは産声を上げることができませんでした。

 手術が終わる頃、小児科、麻酔科、産科のドクターが相談し、赤ちゃんの救命処置は中止されました。

 手術介助が終わった後、手術器具をそのままにして、私は赤ちゃんのそばに行きました。そして赤ちゃんの柔らかな顔や手をきれいに拭きました。

 新しいシーツでくるんだ赤ちゃんは、抱きかかえるとずっしり重く、よく眠っているように見えました。さっきまでお母さんのおなかの中で守られていたおかげなのか、抱っこした手には温かさが伝わってくるようでした。

 手術を終えた産科のドクターが、
「今からお父さんと面会だからね。赤ちゃんをきれいにしてくれてありがとう」

 大事そうに赤ちゃんを抱きかかえて帰っていきました。

 麻酔から覚めたお母さんは、一言もしゃべりませんでした。病棟のナースと一緒に迎えにきたお父さんの目は赤く充血していました。

 二人が目と目を合わせた途端、お母さんは声を上げて泣きました。かがんだお父さんはベッドに寝たままのお母さんの背中を抱いて、
「よくがんばってくれたね」

 その頰にも涙が流れ落ちました。

 私はくちびるをかみ締めました。相棒のナースの目も光っていました。

 手術室出口の外廊下まで患者さんを見送り、最後に深く黙礼して顔を上げると、土曜日の静かな朝は明けていました。

 数え切れないほど、緊急の帝王切開手術を経験しました。この一件以外の赤ちゃんは、命をつないで新生児室に帰っていきました。

 早期退職して6年になりますが、救急車の音を聞くたびに、命が守られるように祈らずにはいられません。

第2回 受賞作品

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