医師のみなさまへ

2025年2月20日

第8回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【審査員特別賞】

「掌の記憶」

原 貴子(34歳)東京都

 透析の時間になると、母は「母」から「職人」の顔になる。

 看護師から褒められた手際の良さで、よどみなく透析する様子は熟練そのもの。ベッドで横になる私の目に、ちらりと母の指先が映った。めくれた皮膚が、まるで断層のように折り重なっている。お世辞にも綺麗きれいと言い難い母の手は、私の治療のためによるものだった。

 1歳の頃、私は先天性ネフローゼ症候群を発症した。この病気は、腎臓の機能が著しく低下し、体内の老廃物を排出できなくなる。この腎臓の役割を代わりに果たすのが、人工透析と呼ばれる治療だ。まだ赤んぼうだった私は、腹膜透析の治療が決まった。腹膜透析とは、腹膜に挿入されたカテーテルから透析液を入れる治療方法だ。まった透析液は、腹膜で老廃物や不要な水分をしとる。頃合いを見計らって排液し、また新しい透析液と交換して体内を綺麗にしていく。手順さえ覚えれば自宅でもできるこの治療を、母は病院から義務付けられた。

 透析するわよ、という母の掛け声とともに、透析の時間は始まる。部屋の扉が閉まったのを確認すると、私は壊れものを扱うようにお腹からカテーテルを取り出す。見上げた先の天井がまぶしい。普段はこっそり私の腹巻のしたで眠るこの管も、透析の時間では主役だ。

 透析する時の母は、普段とは一転して険しい眼差しになる。透析液の濃さを見極めるその目つきは、どんな些細ささいな違和感も見逃すまいとしている。排出された透析液の濃度により、老廃物が十分排出されたかが決まるからだ。更に、透析液の袋の裏がわが見えるほどに透明で、り下げた時にずっしりと重たくなっているほうがいい。

 1日に4回おこなわれる腹膜透析により、母は特に手洗いに神経を使っていた。少しでも手洗いを怠れば、カテーテルに細菌が侵入し、透析液が濁る。そうなれば、カテーテルの交換をしなければならない。その可能性を危惧し、日頃から清潔を心がけていたのだ。

 そうして何度も消毒するうちに、母の指先は少しずつ皮が捲れ、傷が目立つようになった。だから、記憶のなかの母の手はいつもささくれている。夏は勿論もちろんのこと、冬になればますます乾燥する。痛みに顔をしかめながらも、母は自分の役割を黙々とこなしていた。

 一方、私といえば、自分が病気であることも、透析が何を意味するのかも理解していなかった。透析は私にとって日常の一部であったし、皆同じなのだろうと思い込んでいたのだ。だから、小学校でほかの子達の体にはカテーテルがないことを知った時には、そちらに違和感を抱いたほどだ。だから、同級生の母親達の手を目にするたびに、無意識に母のものと比べようとする自分の考えを振り払っていた。

 私は、母の指先をいじりながら、たずねた。
「お母さんの手って、ちょっとざらざらしてるよね。」

 私に指先をまれ、母は返答に窮した。なかなか答えようとしない母に、ほんの少し意地悪な気持ちが芽生えた。私は、ぱっと手を離した。
「ほかのお母さんの手みたいに、もっと綺麗な手だったら良かったのに。」

 ほんの軽口のつもりだった。

 私にとって些細な冗談が、母をどれほど傷つけたか。今となって、自分の愚かさを恥じる。思いだそうとしても、記憶の母はいつも笑顔だ。その笑顔の裏側で、私に異常が起きないよう、いつも張り詰めた想いで透析をしていたのだ。思えば、私の人生において最も近くで病気と向き合ってくれていたのが、紛れもない母だった。

 あの日々から数十年、私の病気は完治していないが、治療しながらも穏やかな日々を過ごせている。涙をのんだこともあったが、今の私があるのは母をはじめとした家族が支えてくれたおかげだ。

 ふと、母にいてみたことがある。
「お母さんって、今でも腹膜透析の治療ってできるの?」

 私の問いに、母は一瞬考えてから、
「できるわね。」
と、きっぱり答えた。驚く私に構うことなく、母は言葉を続けた。
「そりゃあ、毎日治療していたんだもの。どんなに時間が経っても、この手がずっと覚えていてくれているのよ。」

 そう言って、私の目の前に得意げに自分の掌を突き出してみせた。かつて、この掌は私の治療のために心を砕いたことで、傷だらけになった。母の愛情の証であるその指先は、こうしている今も新たな時間を刻んでいる。

 母は、私にとって生涯かなわない人だ。

第8回 受賞作品

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