2019年5月1日
第1回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【入選】
「ビールで乾杯」
御代田 久実子(61)東京都
今年の6月、叔母が逝った。延命を拒否し大好きな自分の家で、静かに逝った。見事としか言えない、叔母らしい最期だった。
身体の弱かった叔母は、何度か生死の間をさまよう病気をした。延命を拒否する文書を、私の姉と作ったのは10年以上も前の事だった。20年前に車椅子の生活になった時、3年前に在宅酸素が必要になった時、関係者は口をそろえて、一人暮らしは無理だと告げた。しかし、叔母は、大好きな自宅で一人で暮らす事を強く望み、それを実行した。
ケアマネージャー、ヘルパー、訪問診療、訪問看護、訪問リハビリ、入浴サービス等々、多くの方が、叔母の一人暮らしを支援してくれていた。私は、子供のいない叔母の親族として、姉と、年数回の訪問や、入院時の対応くらいしか、担う事ができていなかった。
5月に叔母は、全く動けなくなった。3月には、私達と誕生日の外食にでかけるくらい元気だったので、いつか来ると覚悟はしていたが、突然にその日はやってきた。
叔母を支援してくれていたチームは、お互いに調整をし、新たなサービスも加え、朝昼晩深夜と、訪問をしてくれた。初めは回復を目指し、それが
冗談を言いながら叔母のそばで過ごし、「今日も一日楽しかったね。また明日」。これが帰る時の合言葉だった。これに対し、「あなたの家の夕飯は何」と叔母が尋ねてくる事が、毎日の儀式となった。叔母は、食べる事が、難しくなっていた。
叔母の命をつないでいたのは、水分補給の点滴のみで、口から摂取できるのは、わずかなとろみ食だった。栄養補助食や介護食など、皆がすすめてくれる食べ物は、すべて、叔母の嫌いな味だった。とびきりグルメだった叔母は、まずい物はまずいと、口にしたがらなかった。
私は関係者皆に、好きな物を食べてもらいたいと、相談した。医療関係者は、本人の望む物で良いと言ってくれた。介護スタッフはこの大きさ、この形ならと、色々提案してくれた。かくして、叔母の主な飲み物は、とろみ付きサイダー、食べ物は、クリームいっぱいのチョコレートケーキ、アイス、メロンとなった。
亡くなる2週間前、姉が見舞いに来ていた時、「女子会をやろう」という事になった。女3人、ビールで乾杯した。残念ながら、とろみのついたビールは、あまりおいしくはなかったらしいが、楽しい時間だった。一人暮らしの叔母は「乾杯」が大好きだった。一緒に食事をする時は、お茶でも何でも「乾杯」とグラスを合わせてきた。動けなくなってからは、アイスで乾杯していた。好きな物は、何でも良いよと言ってもらっていたので、元気な時に大好きだったビールで、乾杯する事ができた。一緒に暮らしていた幼い頃の話など、私達はたくさんおしゃべりし、叔母は、苦しい息の中でも笑っていた。
色々な事業所、色々な職種のメンバーがチームを組むという事は、正直すべてがスムーズにいったわけではない。けれども不安や疑問を伝えると、皆
そして叔母は、自ら点滴を断わった。
看護チームは、涙をこらえながら、それを受け入れてくれた。「私、もういいかなと思うの」と叔母は言った。私は返す言葉がみつからず、「疲れちゃったかな。ずっとがんばってきたからね」とだけ言った。そして1週間後、叔母は逝った。前の日の夜も、「あなたの家の夕飯は何」と言っていた。
長い付き合いの看護師さんと一緒に、泣きながら最後のケアをし、旅支度をさせてもらった。15年間来てくれていたヘルパーさんが、泣きながら一番好きな固さ加減のご飯をたいてくれ、枕元に供えた。
最後まで自分らしく生き抜いた叔母、本人の意志を尊重し、最後までとことん叔母と向き合い、何が最善か考えぬきながら支援をしてくれたチームの皆さんを、誇りに思う自分がいる。こういう生き方もあるのだと、教えてもらった長くて短い1か月だった。
納骨の時、医師であるいとこに、「ビールにとろみつけたの」と驚かれたのは言うまでもない。でも、「すごいね、最後まで本人らしくだね」と笑いながら言ってくれた。
叔母と、素晴らしいチームに「乾杯」。