医師のみなさまへ

医の倫理の基礎知識 2018年版
【人を対象とする研究】H-10.臨床研究の倫理

一家 綱邦(国立がん研究センター研究支援センター生命倫理部生命倫理・医事法室長)


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 現在「臨床研究の倫理」には、2つの倫理的要請が含意される。1つは、研究者が倫理的であることである。Research Integrityの問題としてわが国に議論が紹介されることも多く、具体的には近年医学研究に関わる者全てが直視せざるを得ない研究不正や企業との研究活動における利益相反の問題への対応を考えることになる。もう1つは、研究の内容自体が倫理的であることであり、以下はこの意味での「研究倫理」に主眼を置く。

 人を対象とする臨床研究が倫理的に行われるためには、被験者を研究参加に伴うリスクから保護することが求められる。この被験者保護の要請は、臨床研究そのものの本質的構造による。すなわち、臨床研究を行うのは医師(その他の医療者を含む)であるが、医師は自らのクライアントである患者に対して最善の利益となる医療を提供する義務を負う。

 他方、医師は臨床研究を行うことで医学を進歩させる責務を負った研究者でもあるが、この責務を負うクライアントは社会一般または将来の患者である。しかし、研究を進めるためには研究の対象となる患者が必要であり、医師でもある医学研究者は自らの患者を研究対象として手段的に用いることが多い。この場合に自らが奉仕すべきクライアントが一致しない責務相反状態が構造的に生じる。そして、研究は安全性・有効性が未確立な仮説的行為を検証するために行うので、被験者となる患者にとっては研究参加による直接的利益は見込めないばかりか、そのリスクを偏に引き受けることもあって、ある意味不公正な構造が臨床研究にはある。しかし、この構造は臨床研究あるいは医療・医学そのものに関わる本質的なものであり、そのこと自体を否定・解消できない。そこで臨床研究を立案・実行する者には、この本質的構造とそれが生むジレンマを自覚し、本質的に許容される範囲を模索する必要がある1)。

 その模索の手掛かりになるのが、ガイドラインや指針として社会に示される規範であり、世界医師会によるヘルシンキ宣言もさることながら、現在のわが国では「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針(以下、医学系指針)」がその有力な1つであろう。残念ながら、長大且つ難解な構成と記述及びその(法的ではない)事実的強制力ゆえに倫理的正否の基準よりも盲目に遵守する手続マニュアルの様相を呈しているおそれがある。そのことを助長しているかもしれないのが、医学系指針に近年正面から採用された2つの論点である。

 1つは、2013年以降社会的問題となったディオバン事件の影響を受けて倫理指針に採用された研究不正・利益相反の管理であり、もう1つが、2017年改正を経て医学系指針の中で非常に大きなウェイトを占めることになった個人情報保護である。

 手続マニュアル的に読むと読み飛ばしているかもしれないが、医学系指針の体系的理解のために基本方針8項目が指針冒頭に挙がる2)。そして、この8項目に重なる内容が多いのが、アメリカ国立衛生研究所(NIH)バイオエシックス部門による臨床研究倫理7原則3)である。表1に示した両者の対比によれば、個人情報保護と研究不正・利益相反管理が、研究倫理本来の対象ではないことが浮き彫りになる。

 もちろん、2つの論点が医学研究にとって重大でないわけではない。しかし、既述した医学研究の本質的構造による倫理的ジレンマへの配慮(医学系指針の基本方針でいえば、「社会的及び学術的な意義を有する研究の実施」「研究分野の特性に応じた科学的合理性の確保」「研究対象者への負担並びに予測されるリスク及び利益の総合的評価」「事前の十分な説明及び研究対象者の自由意思による同意」「社会的に弱い立場にある者への特別な配慮」をめぐる考察)が隅に追いやられることがあってはならない。そうであれば、倫理指針の理解を促すためにも、多くの識者が考えるように、医療・医学研究分野に特化した情報法制を作ることは近い将来の課題であろう。また、ディオバン事件再発防止特別法としての性質が強い、2018年4月施行の臨床研究法は、「研究倫理」に正面から向き合う基本法としては十分ではないだろう。

 研究倫理に正面から向き合う法とは何か。医学研究すなわち医学の本質に関わる倫理を法が直接規制すること(法が倫理にとって代わること)はできないし、すべきでもないが、医学研究者が本質的に備えるはずの自己規律としての倫理を発揮できるような制度作り、環境作りを法がすべきであろう。

表1

文献

1)松井健志:臨床研究の倫理(研究倫理)についての基本的考え方.医学のあゆみ 2013;246(8)529-534.
2)田代志門:研究倫理指針はどう変わったか 基本原則から理解する「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」Clinical Research Professionals 2015;50:28-34.
3)NIH:Guiding Principles for Ethical Research.

(平成30年8月31日掲載)

目次

【医師の基本的責務】

【医師と患者】

【終末期医療】

【生殖医療】

【遺伝子をめぐる課題】

【医師とその他の医療関係者】

【医師と社会】

【人を対象とする研究】

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