高校2年の頃、初めて東京科学技術博物館に行った時、掲示板に「坂本龍一のシンセサイザー講座第6回目(全6回)」なる文字を目にしました。驚きのあまり慌てて係の方に伺うと、単発参加可能とのこと。教室に行くと半分も座席が埋まっておらず。
最前列に座ってそわそわしていると、けだるそうに教授が教壇に立たれ、開口一番、「え、過去5回シンセサイザーのテクニックについて話してきましたが、それは忘れていいです。シンセサイザーのことも忘れていいです」との言葉をお聞きし、この人は何をおっしゃるのだろう?と混乱する中、「電子工学に楽器としての意味を見出したのがシンセサイザーという楽器です。その対極も楽器です」と、ボディパーカッションや口三味線など、人体そのものも、歌に限らず全ての音が旋律となり楽器になることを一しきり語られ、ジャケットのポケットからカセットテープを取り出しました。
「僕の友人が作ったテープです。あまりに面白いから持ってきました」とおっしゃるや、異様な音が流れてきました。肉声で単音を発音、それを多重録音するという工程で作り上げた「雷電(ライディーン)」を披露されました。「長く聞いていると気持ち悪いからこの辺にしますが」と一呼吸置き、「音は全ての存在に潜んでいます。何に音を見出しても良いのです。決まりなどありません。今までに誰も楽器になると考えたことのないものは無限にあります。それを使いこなせば、音は音色となり曲になります。あなたはその楽器の第一人者となるかも知れません。少なくとも私は、そんな世界を期待しています」とおっしゃり、講義は完結。
ずうずうしくも質問に立ったことは言うまでもない。「私は3歳でピアノに挫折して以来楽器を演奏したことはありませんが、それでも可能ですか」と。「音楽の素養より、好きかどうか、やるかやらないか、です。大いにやってたくさん失敗していけば、知らなかった世界が聴こえます」と拝聴。更に欲を出して握手をねだり、握りしめて頂きました。
私が初めて坂本龍一の楽曲を聴いたのは、中学生の時「雷電」からでした。その後欠かさず聴いておりましたところ、アルバムが出るたびに、それまでの予想を覆し、最初は聴くこと自体に不快さを感じ、それでも聴き込んでいると、自分が知らなかった光景が聴こえてきて、1年も聴き続けていると、次第に心地良いものに変わっていきました。ネットが普及しYouTubeが見られるようになると、一つの楽曲にどれだけ多くのアレンジを行い、アコースティック、ピアノソロ、ノイズなど、ポップから室内楽までさまざまな形式で演奏を繰り返していると知り、ようやくあの時の言葉が少しは分かったような心地がしています。