6年前から走っている。フルマラソンには何回か出走しているが、何を思ったか昨年10月「えちご・くびき野ウルトラマラソン」に挑戦することになった。100キロメートルが本物なのだろうが、そこは日和(ひよ)って50キロメートルに出た。
スタートはうみてらす名立。天気は晴れて風も涼しく最高。地元の人達が大勢応援に集まってくれ、キラキラした海岸線を気持ちよく走り出す。100キロメートルはいくつかの山を通過する苦難のコースだが、50キロメートルは海岸線沿いから街中を抜け、名城高田城を通るとても楽しいコースである。
17キロメートルほど走り、商店街に差し掛かったところでちょっとした段差。調子良く走っていたため思いきり転倒してしまった。商店街の人が助け起こしてくれ、けがしたところを水道で洗ってもらう。右手背3カ所、右頬を受傷し、そして右側胸部も痛い。手背の1カ所はぱっかり割れて出血も多い。これは私なら縫うかもとぼんやり思う。悔しいけどリタイアか、まずは手当てを受けようと思い、親切にしてくれた中華料理店のママさんに礼を言い、救護班があるという20キロメートル地点を目指す。
走っているとじわじわと汗と血でにじんだ絆創膏(ばんそうこう)が剥がれてくる。何となく右肋骨の辺りも痛いが、道中給水エイドごとに傷の手当てをしてもらうと、みんなが負傷している私を励ましてくれる。応援されるといけると思ってしまい走っていたが、もうすぐ20キロメートルの直前に長い長い坂道が見えた。かの有名なゆずの歌は楽しく自転車で下る道だが、私の前に見えたのは上り坂だ。絶望を感じて歩き出した私の後ろから「どうした。歩いたらそこで心が負けやぞ」と、えっスラムダンク?みたいに声を掛けられる。背がすらっと高い齢(よわい)65(推定)の男性ランナー。こっそり安西監督、いやレジェンドと呼ぶことにする。反論する気力も無く、はあそうですかとレジェンドの後ろから付いていく。
ゆっくりゆっくり坂を上る。何も考えず付いていったのが良かったのか、歩いているランナーを数名追い越して20キロメートルに到達した。ようやく会えた救護班員に手当てしてもらうが、リタイアしますかとは一言も聞かれない。「ガーゼ当てたけど、きっとまた汚れてきちゃうから30キロの救護班で手当てしてもらって」と言われる。レジェンドもエイドで休憩を済ませて、一緒に20キロメートル地点を出発、抜きつ抜かれつで走る。
その後10キロメートルおきにあった救護班でも、やはり誰もリタイアしますかとは言わない。40キロメートルで「ゴールに整形外科医がいますよ」と言われる。そう言われるとあと10キロメートルくらいなら走れるかなと思って走る。100キロメートル完走の素晴らしいランナー達も最後の方は同じロードを走る。すごいなぁ100キロも走ってきたんだなぁと、感動しつつ走っていたらゴールにたどり着いた。出迎えてくれた友達が血を流している私にギョッとした顔をしていた。
ゴールにはドクターとナースがいた。暑い日だったので熱中症ランナー達の対応で忙しそう。手当ての前にひとまず私も皮膚科医だと名乗る。同業者と知るや、ニコニコッとした顔に変わり「手、曲がる? 曲がるね! 大丈夫、骨は折れてない。なになに肋骨も痛い? 息できる? はいできるね。大丈夫! 折れてない。ヒビ入っとるかも知れんけど。でもさ、君転んでから30キ口走ってきたんやろ? 大丈夫!」と納得できたようなできないようなお墨付きを頂いて手当てを終えた。
救護室から出たところでレジェンドにバッタリ。「今までは100キロ出てたんだけどね。もう出ないかな」と言っていたが、きっと次回も走っておられるんじゃないかなと思いながら更衣室に入ると、見知らぬ女性ランナーから声を掛けられた。「顔と手から血を流しながら走ってる人がいるって聞きました! あなたですか? 完走おめでとう!」。おや、もしかして私レジェンドになったのかも。