令和7年(2025年)1月20日(月) / 日医ニュース / 解説コーナー
特別寄稿 ラテン語ハクシーネから白神翁と名乗った江戸末期の医師の物語 映画「雪の花―ともに在りて―」公開に向けて
福井大学医学部同窓会白翁会代表理事 北井隆平
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新型コロナウイルス感染症に始まり、季節性インフルエンザと昨今、ワクチンの話題が尽きません。帯状疱疹、子宮頸がんはテレビCMが放映され、一般の方々も口々にその重要性や副反応を議論します。
我々医家にとっては、これが天然痘のジェンナーの牛痘から始まっていることは周知の事実ですが、江戸時代末期、本邦に導入するのにどれほどの努力がなされたか、そこにどのような人々のネットワークがあったのかを知る人は少ないと思います。
命を賭して天然痘ワクチンである牛痘を輸送し、絶苗しないよう植え継いだ人々の物語、映画「雪の花―ともに在りて―」が2025年1月24日より公開されます。その中心人物の福井藩の町医、笠原良作(白翁)の人生にスポットを当てた映画です。
彼はラテン語のハクシーネから白神翁と名乗り、書では白翁を用いました。今、現代の我々が振り返ると、そのネーミングセンスは秀逸であり、種痘後の皮疹から出る白い膿がまさに病魔を退ける神に見えたことでしょう。
さて、天然痘は古来より人々を苦しめてきました。発症した乳幼児の死亡率は高く、75%に及ぶとの記録もあります。そもそも天然痘の天然というのは自然に発症するという意味で、しばしば大流行していました。空気感染を来し、旅人や貿易商によって持ち込まれ、ある村人が発症すると瞬く間に村中に広まり、疫病として人々から恐れられていました。
ウイルスや微生物の知識の無かった当時の人々は、悪鬼神の仕業と考えたのも無理はありません。鬼が嫌うという赤い色の褌(ふんどし)を付けたり、赤い牛で退散を願ったものでした。「赤べこ」や高山市のお土産の「さるぼぼ(赤いサルの赤ん坊)」にも、これを避けるためのおまじないの意味があるそうです。
そして、江戸末期、西洋では牛痘法が発見されます(1798年)。牛痘を人に移すことで、人痘(天然痘)を軽くするという方法です。蘭学を勉強していた当時の知識人は牛痘を日本に輸入しようと努力しますが、うまくいきません。シーボルトが漿(しょう)(液体)の状態の牛痘を持ち込みましたが免疫を得ることができませんでした。長期の航海で失活、腐敗したようです。
1836年、福井藩の笠原白翁は疫病対策で疲れた体を癒そうと山中温泉に逗留(とうりゅう)します。そこで偶然、加賀大聖寺の町医、大武了玄と出会い、天然痘を防ぐには蘭学であるとの示唆を受けます。当時の医師は免許制度もなく、藩医は世襲、町医などは徒弟制度で全て漢方医です。京都へ行き、蘭学を修めた笠原白翁は牛痘が中国まで伝わっていることを知ります。しかしながら、鎖国の当時、全てのものは禁輸です。藩主松平春嶽公経由で幕府の許しを得て、中国から手に入れようとした矢先、オランダ商館医モーニッケがかさぶたの状態で持ち込んだものが長崎・佐賀を経由し、京都に届いていることが分かりました。これを手に入れ、京都で接種を始めたのが1849年です。大阪の緒方洪庵の申し出で適塾にも分苗しました。神事の形式で分苗式が行われ、しっかりとした管理を要すること、接種後の鑑別についても注意が定められました。その後、京都から福井に向け、死をも覚悟した雪中行軍の史実がありますが、それは映画で確かめて頂ければと思います。
やっとの思いでワクチンを福井藩に持ち帰りましたが、この種痘は維持するのが大変困難です。維持のため子どもから子どもへ1週間ずつ植え継ぐ必要があります。その子どもを用意することができないのです。未知の牛痘を皮膚に入れるわけですから、頭から角が生えるとか、天然痘で死ぬとか、妄信や危険性ばかりが喧伝(けんでん)され、子どもが集まりません。当時の漢方医もこぞってネガティブキャンペーンを行います。笠原白翁は町医で藩医と異なり身分も低く、行政もまったく援助しません。笠原白翁の記録でも、多くの藩に譲渡したが、ほとんど絶苗したと書かれています。
多くの医学部は種痘所を基礎にもちます。緒方洪庵の適塾から大阪大学医学部、お玉ヶ池種痘所から東京大学医学部、彦三種痘所から金沢大学医学部へと歴史はつながっています。まさに江戸末期、漢方医学から西洋医学にパラダイムシフトがあったその瞬間は、天然痘のワクチンだったのです。
昨今のワクチン狂騒を耳にするたび、私は歴史は繰り返すとの思いを新たにします。感染症との闘いは人類の総力戦であること、科学を無視した不毛な議論が多数起こること、批判は同業者からもなされ邪魔されること、防疫の最前線は常に市井(しせい)の人々の幸福を願う名も無き医療者であることです。
この映画の原作は吉村昭の「雪の花」です。史実に立脚した丁寧な小説で、映画を見る前にぜひとも一読をお勧めします。映画を指揮したのは小泉堯史監督です。小泉監督は黒澤明監督に長く仕え、師亡き後、黒澤組の意志を引き継ぎ映画を撮影しています。彼は数年に1度程度しか映画を撮影されていないようですが、そのスタイルは実在する人物に心酔しないと撮らないというポリシーです。デジタルカメラ全盛の現在、珍しくフイルムで撮影された映像は時代の心象を再現しています。試写会で本編を見ましたが、素晴らしいでき映えです。
このたび、映画「雪の花―ともに在りて―」は日本医師会からの後援を頂きました。これほどまでにワクチン議論が続いている現在の日本、全ての医療者に日本のワクチンの歴史的真実を見て頂きたいと思います。
上映館などは公式ホームページでご確認下さい。
https://movies.shochiku.co.jp/yukinohana/