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令和2年(2020年)12月5日(土) / 南から北から / 日医ニュース

警察医は臨床医

 開業して2年目であったと思いますが、先輩警察医から県警嘱託医を命じられました。外科医院先代が警察医として活動し、その話を聞いて興味がありましたので、渡りに舟とばかりに挑戦したわけです。
 崩れそうな一軒屋から発見された後期高齢夫婦の遺体。夫は腹部に腐敗を呈し、ちゃぶ台の前で死亡。ちゃぶ台には1人分の湯飲みと茶碗、箸がのっていました。もう一体はほぼミイラ状で部屋の隅に積み上げられた布団に包まれて異臭を放っていました。
 解剖で女性、法歯学で妻と判明。家の中から類推するに、人付き合いもなく誰の世話にもならず自力で質素に生活し、ひっそりと最期を迎えたようです。警察官と死体検案をし、環境捜査、解剖所見等を合わせても死因は特定できませんでしたが、事件性は無しとなりました。老夫婦に子ども、兄弟はおらず、それぞれに遠い親戚はいたものの、付き合いがなく引き取れないとのことで、市役所が対処することになりました。実際よくある閉じ方です。
 ところがです。その後の市や警察の捜査で、老夫婦には数億円相当の土地と預貯金があることが分かりました。民事の一大事発生です。夫婦の数億円の遺産は2人同時死亡なら双方遺族に相続配分されます。しかし死亡時期に差があれば、先に死亡した者から配偶者に全て相続され、その配偶者が死亡すると、本件では子どもがいないので、元々の本人分と相続分の両方が(全てが)後者の遺族に相続されることになります。
 突然の数億円の相続に双方の親類が直ちに動き出し、面会の予約が入るわ、世の中の偉い人から連絡をもらうわでした。もちろん事実は変わりません。が、その事実を裁判所が判断しないと収まらないのが本件で、裁判所の求めにより本件の時系列に関する意見書の作成となりました。
 人体の死後変化と発見時の生活様相から妻が先に死亡、夫は妻の遺体とともに数カ月生活した後に死亡したと結論した根拠を、数枚にして提出しました。単に意見を述べただけですので、その後の裁判所判断は知らされません。しかし小生がご遺体をみる専門家として扱われた案件でした。
 このように誰が見ても明らかなことでも、法の前では人の死は医者の判断が必要です。医者はこの責務を社会に果たさなければなりません。
 夜中に警察交通機動隊から連絡がありました。飲酒運転の被疑者が呼気検査を拒否するので、裁判所命令で強制採血をし、血中アルコール濃度を測定することになりました。出動です。
 警察署地下取調室に二重の頑丈な鉄のドアをくぐって入ると、既にアルコール臭漂う室内にクダを巻いている男が座っていました。一通りの手続きの後、この検査を逃れることはできない旨を話すも応じず、担当警察官が腕を押さえ、私は非アルコール消毒を告知し、4ミリリットルの採血をしました。
 警察嘱託医はその特殊な業務を既に勉強してきた者がなるわけではありません。学部生以来、再び法医学の教科書を買い、検案の現場に行き、担当刑事さんの説明と意見で勉強し、あるいは厚生労働省の検案勉強会では数日にわたり法医学教授から講義を受け、専門家になっていくのです。
 実は検案医は臨床医なのです。まずはみて触って聞いて判断材料となる所見を取ることが求められます。日々何十人もの患者さんを診察している臨床医の目は、遺体からもかなりの所見を取ることができます。こればかりは手練(てだれ)の警察検視官でも経験のある臨床医にかないません。
 真実を分かろうと願いながら、物言わない死体の診察をするのであります。死体検案の多くは誰も正解を知りません。次第に"自分の検案"ができるようになり、人知れずお亡くなりになった方の人生を閉じるために医者がするべき役割をしていくのであります。もちろん我々の検案が法医学者の解剖に取って代われるとは思っていません。体表から分かる事より解剖する方がはるかに精密です。
 しかし日本の社会は全例解剖をいまだ必要と認めていませんし、法医学教室もキャパシティーがありません。法医学会のHPには、法医学教室は検案業務から離れるべきと謳っています。だから我々医師会員が異状死体の検案第一次をやめるわけにはいかないばかりか、これからは更に件数が増えるでしょう。経験豊かな臨床医の目と警察官の目と歯科医の目が必要なのです。
 ところで警察嘱託医の仕事は検案だけではありません。留置人の健康管理や投薬、捜査上に出た医学分野の解説、意見陳述、前述の裁判所命令による強制執行等です。これらはボランティアではありません。正当な対価が得られます。
 今現役警察嘱託医の平均年齢が上がり世代交代が必要になりつつあります。ご意志のある方はぜひ所属地区の警察嘱託医にご相談下さい。また、警察医活動が医師会の活動としてより一層認められるよう願っています。

(一部省略)

千葉県 千葉県医師会雑誌 925号より

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