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令和8年(2026年)5月5日(火) / 南から北から / 日医ニュース

私と野球

 もうすぐ50歳になる私が、生涯最も長く付き合っているもの、それが野球である。
 小学校入学とともに地域のチームに入り、週末は毎週のように試合に明け暮れた。人生初めてのホームランで一塁ベースを踏み忘れてアウトになったことも今となっては良い思い出である。中学時代は学校のグラウンドが狭く、野球部が無かったためクラブチームに所属していた。毎週末、多摩川の河川敷まで自転車をこいで1時間半掛けて通っていた。ブレーキが壊れて壁に激突したことがあったが、怪我した自分より買ってもらったばかりのグローブが破けていないか心配した記憶がある。
 高校時代は神奈川のそこそこ強豪で汗を流した。冬の合宿で箱根の山を100キロメートル走るのだが、汗をかいてアンダーシャツが濡れ、寒さでそれが凍り、そこに乳首が擦れて出血。部員みんな両胸を真っ赤にしながら死にそうに走り続けたのは思い出したくもない。当時、桐蔭学園に元巨人の高橋由伸選手がおり、練習試合でコテンパンに打たれ、「ああ、プロになるのはこんな人達なんだな」と思い知らされ、同時期に放送していた医療ドラマに感化され外科医を目指し始めたのは高校2年の頃だった。
 晴れて山形大学に入学してからも野球人生は続く。高校であれだけやってたのだから、しょせん医学部野球でしょ、なんて高をくくっていたのだが、実際はレベルが高く、他大学には甲子園球児もいて、勉強より野球の方に力を入れてやっていた気がする。この時お世話になった先輩のおかげで迷うことなく第一外科(消化器外科)に入局もできた。他大学の同期も含めて、今や日本の医療界のトップランナーになっている人もいて、励みになっている。野球をやっている人間には間違いが無いというのは今も揺らがぬ信念である。
 医師になってからも野球人生は続いている。十数年前に山形大学野球部の監督に就任した。毎年夏になると東医体(東日本医科学生総合体育大会)に出掛けている。もちろん家族には恨まれ続けているのだが、これが楽しくてたまらない。私が監督になってから、強豪であるはずの山大野球部はメダルから遠ざかっているのだが、いつかは金メダルを獲って胴上げしてもらえると信じている。教え子の一人が消化器外科医になってくれ、今一緒に働けているのも感慨深い。
 また、山大の講座対抗野球や医師会野球で自分自身もプレーを続けているのだが、つい先日第一外科が記憶としては初めてと思える初優勝を成し遂げた。年々、体は動かなくなっているものの、これからも野球を楽しみ続けたい。

山形県 米沢市医師会だより 第83号より

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