夏の甲子園大会が始まると、あまりプロ野球を見なくなる。高校野球は一応地元の高校を応援するが、どちらかというと私立高校より、地元出身の子ども達ばかりの公立高校を応援してしまう。高校野球は筋書きのないドラマであり、特に接戦のゲームは見ていて楽しいし、スリリングである。しかし本当のところは、彼らの汗と涙を見ているのかも知れない。
試合が始まる前に、甲子園のウグイス嬢が各校のスターティングメンバーのアナウンスをする。「1番、センター、山田君」
この時、山田君のヤマダのダにアクセントが付く。標準語だとイントネーションにほとんど抑揚(よくよう)がないか、ほんのわずかに最初のヤにアクセントが付くし、他の名前もほぼ同様と言える。ただアナウンスは名前の2番目にアクセントが付く時もあるし、標準語と同じ場合もある。その違いがどこにあるのか全く分からない。何か基準となるものがあるのだろうか。例えばハンバーガーのマクドナルドは、標準語ではマックでマにアクセントが付くが、関西ではマクドで二番目のクにアクセントが付く。
東京の人が関西に行くと、何気なく関西弁を使ってしまうことがあるかも知れない。しかし現地の人は良くて愛想笑い、またはあきれられるか、無視されることになる。関西の人は、よその人がテレビや映画で関西弁を話すことに対して敏感である。
「極道の妻たち」の岩下志麻がセリフとして話す大阪弁には、「アレはないなあ、岩下志麻弁やな」となるらしい。ベテラン女優で方言指導も受けているにもかかわらずだ。
どこに行っても関西弁で話すと言われている関西人であるが、標準語で話すとアイデンティティーが失われてしまい、頭の中も混乱してしまうのだそうだ。
関西人は頭の中で思考する時、関西弁なのか、それとも標準語なのか。ものの本によると思考は標準語になるとあるが、関西の文化人同士の対話では、関西弁と標準語のごちゃまぜになるとの結論だ。関西弁は文章にしづらい言語であるらしい。
歌はどうなのであろうか。多くの関西の流行歌は標準語であるが、「大阪で生まれた女」という名曲は完全な関西弁である。しかしこの曲は、東京と大阪の対比が詩になっていて、他の曲とは少し別の感性の曲なので大阪弁が合うのかも知れない。どちらにしても大阪の歌手にしか歌えない曲である。
私も、初めて新幹線に乗って行った大阪万博以後、数回この地を訪れているが、言語だけでなくさまざまな文化の違いをいつも感じている。また行ってみたい都市だ。
(一部省略)
東京都 大森医師会会報 第121号より