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令和7年(2025年)12月20日(土) / 南から北から / 日医ニュース

チェロを始めました

 私ごとになりますが、昨夏からチェロのレッスンに通い始めました。「五十の手習い」とはいうものの、さすがに70歳を目前にして今更......と笑われてしまいそうです。
 私はこれまで楽器とはほぼ無縁で、音楽も高校の授業が最後、楽譜も卜音記号や四分音符をかろうじて思い出せるくらいでした。その一方で、中~高校生の頃から管弦楽曲を中心にクラシック音楽をよく聴いていました。時代は、折しもカラヤンやベームといった巨匠が相次いで来日してクラシックファンを熱狂させ、FMステレオ放送やステレオカセットデッキの普及で、家庭で気軽に高音質の音楽を楽しめる時代に突入していました。その頃強い衝撃を受けたのが天衣無縫、情熱的な演奏で知られる天才チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレを知ったことと、初来日した彼女が突然公演をキャンセルし、帰国後多発性硬化症と診断され、まもなく28歳という若さで引退を余儀なくされた悲劇です。それ以来、あまり好みではなかった器楽曲の中でもチェロだけは好んで聴くようになりました。
 実はわが家では、いずれも大人になってからの趣味ではありますが、次男がヴァイオリンを、娘と長男と、最近になり孫娘もチェロを習っています。この数年帰省時に聴く娘の音がめっきり良くなり、いいなあと思っていたのも理由の一つです。そんな折、閉院後の片付けが一段落した昨夏、妻から認知症の予防にもと背中を押され、長男親子が通っているT先生のレッスンを受けることにしました。初期費用のハードルとなる楽器代も、自分が倒れても娘か孫が使えば良いという気楽さもありました。
 さて、昨年8月から始めたレッスンですが、チェロ独特の弦の振動が直接体に伝わる感覚に感激! ところがものの5分と経たずに弓を持つ手が痛くなり、しばらくは時間はあっても練習を続けられずもどかしい状態でした。まもなく音階の練習も始まりましたが、4本の弦の音階を押さえる左手と、弓を操る右手が全く違う動きをするという弦楽器の特性に加え、何十年かぶりに見る楽譜の音符と弓のアップダウンの記号を並行して目で追いながら弾くことの難しさに直面しました。既に性能の低下した自分の頭の中のCPUではとても処理が追い付かず、四苦八苦の日々です。
 そのうちにふと思ったのは、楽器を弾きこなすというのは脳梗塞後のリハビリのようなものだということです。思うように動かなくなった手足が、根気良くリハビリを続けるうちにだんだん意思に従って動かせるようになるのと同じように、楽器を自分の体の一部のように弾きこなせるようにしていくのだなあと。そう考えると時間が掛かるのは当然、リハビリを続ける患者さんの苦労を想像しつつ(いつ本当のことになるやも知れませんし......)、根気良く練習を続けようと思いました。
 これを書いている現在、弾き始めてちょうど1年が経過しました。まだまだ音程もボウイングも初心者の域ではありますが、褒め上手なT先生のおかげもあって、簡単な曲を「曲」として何とか弾けるようになり、演奏自体が楽しいと感じられるようにもなってきました。少し前の連休には30人を超えるレッスン生と数人のプロ合わせてチェロのみ38人による「チェロざんまい」(サントミューゼ小ホール)で、長男や孫娘と一緒に、末席とはいえ参加することもかないました。弾き始めて3カ月でいきなり5曲のパート譜を渡されて呆然(ぼうぜん)とし、アンサンブルのアの字も分からないまま全体練習に参加して5カ月で、ベンチ席まで埋まった300人以上の聴衆を前にしたステージは、これまで経験したことのない世界でした。そして全身に音圧を感じる38本のチェロのユニゾンは、鳥肌の立つような感覚でした。
 教則本が進む程に音符の数が増えて目はチカチカ、♯や♭の半音階、和音に分散和音で頭は混乱、余分な力が入るため指も手も腕も肩もギシギシ痛みます。年齢を考えればあと何年続けられるか分かりませんし、短期間での上達も望めそうにありません。こんなことなら、忙しくてももう少し若いうちに始めておけば良かったと後悔するこの頃です。それでも、いつか3世代で家族アンサンブルを楽しめる日が来るのを目標に、日々練習に励もうと思います。

(一部省略)

長野県 上田市医師会報 通巻650号より

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