「ママチャリはすごい乗り物だ」と私は心から思っています。日本に来て初めてママチャリに出会った時、その存在感に衝撃を受けました。
1998年、福岡での日本語学校通いを始めたばかりの頃、街の至る所で自転車が走っている光景に目を奪われたのです。学生が乗り、サラリーマンが乗り、お母さんが子どもを連れて乗っている。どこを見ても、ママチャリが生活の中に溶け込んでいました。車社会のカナダで育った私には、日本人がこれほど自然に自転車を使いこなしていることが新鮮でした。
「ママチャリ」という名前の由来をご存知でしょうか? 1960年代に登場した婦人用ミニサイクルがそのルーツです。母親(ママ)が乗るチャリンコ(自転車)という意味から「ママチャリ」という呼称が広まりました。いわば日本の生活文化から生まれた愛称です。正式な名称はありませんが、「軽快車」や「シティーサイクル」と呼ばれることもあります。実際には、オールラウンダーハンドル(別名フラットハンドル、まっすぐな形状の自転車のハンドル)のシティーサイクルと、セミアップハンドル(ハンドルが手前に曲がっていて、ゆったりとした楽な姿勢で走行できるハンドル)の軽快車の両方が「ママチャリ」と呼ばれており、その定義は意外とあいまいです。けれど、そのあいまいさがむしろ、ママチャリの懐の深さを物語っているようにも思います。
ママチャリの魅力は、その機能性にあります。重心が低く、安定して走れる。前カゴや荷台が標準装備され、買い物や子どもの送迎にも最適。フレームはスカートでも跨ぎやすく、小柄な人でも扱いやすい。前かがみにならず、姿勢を崩さずに乗れるため、腰への負担も少ない。チェーンカバーや泥よけ、スタンドやライトなど、安全装備も万全です。しかも丈夫で長持ち。価格も手頃とくれば、これほど「庶民の足」として愛される乗り物はそう多くありません。
そしてこの庶民の足は今や海を渡り、世界でも高い評価を受けています。アフリカ、中東、東南アジア―いわゆる発展途上国では、日本の中古ママチャリが"救世主"のような存在になっているのです。ドバイでは、男性が着る伝統的なカンドゥーラ(長衣)が汚れずに済むと評判ですし、アフリカの農村部では、ママチャリが通勤や通学、病院通いに欠かせない足になっています。舗装の整っていない道路でも、頑丈な日本製のママチャリなら安心。日本では不用品となった自転車が、現地では大切に修理され、長年使われています。
印象的な話があります。2020年、新型コロナによるロックダウン中、インドで15歳の少女がケガをした父親を後部座席に乗せて、何と1200キロメートルもの距離を自転車で走破し、故郷に帰ったというニュースが報じられました。乗っていたのは、日本製かどうかは定かでないものの、まさにママチャリのような自転車だったのです。このエピソードは、ママチャリがただの道具ではないことを教えてくれます。それは、人の暮らしを支える「手段」であり、時に「希望」を運ぶ存在にもなるのです。
一方で、日本国内では、ママチャリはしばしば粗末に扱われています。駅前の放置自転車、壊れたまま雨ざらしにされた自転車、年末の大掃除で回収される不要品としての姿......。けれども、それが海の向こうでは「宝」となることがあるのです。まさに、"One man's trash is another man's treasure(ある人のゴミは、別の人の宝物)"。
ママチャリは日常の中にある「技術」と「思いやり」の結晶です。もし乗らなくなったママチャリがあるなら、ただ捨てるのではなく、次に必要としている誰かの元へ届くように手配してみてはいかがでしょうか。ママチャリは、きっとどこかの街角で、また誰かの夢を運んでくれるはずです。