後期高齢者ともなると、さすがに「老い」を感じる場面が多くなる。書籍を読み終えた後に感じることもその一つである。
全ての書籍というわけではないのだが、読み終えた時に内容のほとんどを忘れていることがある。読書は小説を始めエッセー、経済や政治評論、ビジネス書などいわゆる乱読だが、どのジャンルでも感じることがあるので単に内容の問題ではなさそうだ。気楽に読めるエッセーでも、話題が細切れのこともあり、読み終えた時には「はて、どんな話が載っていただろうか」となる。昔は無かったことなので、やはり「老い」のためだろう。だが、加齢に伴う記憶力の減退なので仕方ないとは思いつつも、読んでも内容をつかめていないことはもったいない。著者に対しても失礼な話だ。
そこで読み方を工夫してみた。同じ書籍を二度連続して読む「二度読み法」に変えてみたのである。具体的には、一度目は単に字面を追って内容や話の流れを大まかにつかむ読み方をし、二度目はゆっくりと文字をかみ締めながら著者の真意をくみ取るつもりで行間にも触れる読み方だ。時間のロスだと笑われそうだが、健康面のことがあり診療を離れていたため幸い時間にはゆとりがあった。そのような読み方を始めたところ思わぬ利点に気が付いた。
まず、読後の余韻に浸る機会が多くなった。例えると、感動的な映画を見た時に、終わってもすぐに席を立てずしばらくボーッとしてしまうあの感覚に似ている。また、読書の楽しみは「言葉」との偶然の出会いと思っているが、二度目はかみ締めて読むものだから大切な言葉が記憶に残るようになった。ほのぼのとして心が温まり、気持ちの休まるような癒やしの言葉もあれば、人間の行動の原点となるような意義深い言葉もある。著者や主人公のさり気ない言葉に心が踊り、少々大げさだが著者の執筆意図なども垣間見ることがある。
おかげで、読書が以前より楽しくなった。「老い」の効用だな、とほほ笑んだ。