日医総研「母子健康手帳フォーラム」が10月26日、日本医師会館小講堂で開催、オンライン配信された。
同フォーラムでは、「母子健康手帳のサブテキスト(LBH)の現状と展望~だれひとり取り残さないリトルベビーハンドブック~」をテーマに、母子健康手帳の歴史的な経緯を振り返るとともに、通常の母子健康手帳では記載が難しい低出生体重児のためのリトルベビーハンドブック(LBH)の取り組みの現状と展望について議論した。
冒頭、あいさつに立った松本吉郎会長は、母子の健康と福祉を守るため、1948年に世界で初めて作成された日本の母子健康手帳が、現在では50を超える国や地域に普及し、各国の文化や経済状況を反映させながら使用されていることを説明。わが国では出生数が年々減少する中において、約1割弱は低出生体重児である傾向が続いているとし、低出生体重児の成長・発達記録に特化したリトルベビーハンドブックの意義を強調した。
当日は、まず、中村安秀日本WHO協会理事長/大阪大学名誉教授が、「歴史に学び未来世代に贈る母子健康手帳」と題して基調講演(座長:原祐一日医総研副所長)を行い、自身が37年前に小児科医として参加したJICA北スマトラ州地域保健向上プロジェクトで母子健康手帳の必要性を痛感したことから、インドネシア版の母子健康手帳を作成して広く用いられていった経験を紹介。
日本においては、新生児死亡率が戦後一貫して下がり続けているが、1960年代の新生児医療技術の萌芽(ほうが)期において、高度医療機器の導入以前にもかかわらず、既にSDGsの国際目標を下回っていたとし、その背後に、乳幼児死亡率が高く、感染症が蔓(まん)延していた1948年に作られた母子健康手帳の功績があるとした。
更に、その"発明"は海外にも広がり、2018年には世界医師会の総会で、母子健康手帳について、「誰一人取り残されないよう、特に非識字者、移民家族、難民、少数民族、行政サービスが十分届かない人々や遠隔地の人々のためにもこの手帳や同等のものが使われるべきである」との声明が採択され、現在ではそれぞれの地域の事情に配慮した母子健康手帳が作成されていることを説明。デジタル化によって多様なニーズに対応している海外の取り組みからも学び、今後の日本の母子健康手帳は紙とデジタルを両立させていくべきとの見解を述べた。
引き続き、リトルベビーハンドブックについて、支援者・NICUの医師・行政それぞれの立場からの講演と討論〔座長:澤倫太郎日医総研主席研究員(当時)〕が行われた。
板東あけみ国際母子手帳委員会事務局長は、「体重は1キロ以上、身長は40センチ以上しか目盛りのない現行の母子健康手帳は、強い自責の念を感じることの多い低出生体重児の家族を傷つけるものであった」と指摘。当事者の声を踏まえ、標準と比べず、わが子の小さな変化を見つけるまなざしを養うリトルベビーハンドブックの開発や、全国各地での当事者サークルの立ち上げ・運営に協力してきたことを概説した。
吉田忍近江八幡市立総合医療センター小児科主任部長は、滋賀県のリトルベビーハンドブックは、「情報提供」「家族記入」「医療従事者記入」のページを色分けしており、他院受診時や救急外来受診時などにおいて、医師が迅速に状態を把握できる有効なツールにもなっていると強調。特に救急では、人口呼吸器の設定、吸引の頻度や程度、胃管チューブのサイズと留置の距離などの情報が役立つとした。
WEBで参加した鳥取県子ども家庭部家庭支援課の田村翔係長と城市祐理保健師は、小児医療費の助成や保育料等の無償化、産後ケア利用料の無償化など、積極的な子育て政策を進める中で、県から患者家族会に働き掛け、リトルベビーハンドブックを共同作成したことを報告。発達の遅れや入院中の様子など、個人差を考慮した記録ができる様式とした他、各ページには先輩保護者の応援メッセージも多数掲載しているとした。
討論では、静岡県から始まったリトルベビーハンドブックの取り組みが40都道府県にまで広がっている背景に、SNSを通じた当事者からの要望があったことなどが取り上げられ、濵口欣也常任理事は、孤独を感じやすいリトルベビーとその家族を社会全体で支えていく重要性を強調するとともに、「地域で生まれた子どもが誰一人取り残されることがないようにという観点で作られるリトルベビーハンドブックは、地縁の再構築のきっかけになり得るものだ」と総括した。