第6回「生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー」(日本医師会・読売新聞社主催、厚生労働省・文部科学省後援、東京海上日動火災保険株式会社、東京海上日動あんしん生命保険株式会社協賛)の表彰式が2月18日、都内で開催された。
本事業は長年にわたり実施してきた「『生命を見つめる』フォトコンテスト」と「『心に残る医療体験記』コンクール」を統合、平成29年度より新たに開始したもので、6回目を迎える今回も多くの作品が寄せられた。
冒頭、主催者を代表してあいさつした松本吉郎会長は、多数の応募への謝意を示した上で、「入賞作品を拝見して改めて生命や絆の大切さに気付かされ、深い感銘を受けた」と述べ、受賞者への祝意を表した。
また、コロナ禍の中で「かかりつけ医」をもつことの重要性が再認識されたとし、国民にとって身近で頼りになる存在であるべき「かかりつけ医」が、今後もその機能を維持・向上していけるよう、日本医師会として支援を続けるとともに、国民の生命と健康を守るため、さまざまな取り組みを行っていきたいと述べた。
榎本健太郎厚労省医政局長、矢幅清司文科省初等中等教育局視学官他の祝辞に続いて、黒瀨巌常任理事が、フォト部門3073点、エッセー部門1836編の応募があったことを始め、審査の詳細等も含めた経過報告を行った。
引き続き表彰に入り、まず、フォト部門「一般の部」では欠席した厚生労働大臣賞を除く日本医師会賞、読売新聞社賞各1名、審査員特別賞3名、入選3名の受賞者、「小中高生の部」の文部科学大臣賞1名、優秀賞3名にそれぞれ賞状・副賞が授与された後、エッセー部門「一般の部」については、厚生労働大臣賞、日本医師会賞、読売新聞社賞各1名、審査員特別賞2名、入選1名の受賞者(入選2名欠席)、続いて、「中高生の部」並びに「小学生の部」の文部科学大臣賞1名、優秀賞5名の受賞者(「中高生の部」文部科学大臣賞欠席)に、それぞれ賞状・副賞が授与された。
その後の審査講評では、フォト部門審査員を代表して野町和嘉日本写真家協会長が、今年度の作品は作者の感情、思いが1枚の写真に結集されているものが多かったとした上で、それぞれの入賞作品について講評。「どの作品も時代をしっかり捉え、人間等と向き合った非常に良い作品だった」と述べ、受賞者を祝福した。
また、エッセー部門審査員を代表して講評を述べた養老孟司東京大学名誉教授は、「長年審査員を務めているが、非常に感動的な作品が多く、"感動疲れ"をしてしまうほどだ」と選考を振り返るとともに、「自らの経験を文章にするのは難しく、自分が感じたくらいの感動を読む人にも与えようと思うと当然難しい。(自分の経験を)少しひとごとにして遠くから見てみるようにすると、自然にユーモアが出てくるし、物の見方、考え方も変わってくる」と文章の書き方のアドバイスを送るなど、次回も多くの作品が応募されることに期待を寄せた。
なお、今回の全ての入賞作品は日本医師会ホームページに掲載する他、冊子としてまとめ、『日医雑誌』5月号に同梱して送付する予定としている。
エッセー部門 一般の部 日本医師会賞
「最後の贈り物」
池田 康子(いけだ やすこ)
長野県・63歳 ※年齢は応募時点
夫が急逝して3度目の夏が過ぎました。
2019年、夫は還暦を迎え、3月末で定年となりましたが、再任用で引き続き高校教師として働いていました。その年の夏休み、いつものように学校に行き補習授業をやり、午後には顧問をしているソフトボール部の指導をグラウンドで行っていました。夕方、少し具合が悪そうに帰ってきた彼は「軽い熱中症みたい。」と話していました。暑い夏でした。
でも、翌朝になっても症状は改善せず、近くの医院に行ったところ総合病院へ救急搬送されました。発熱があり、肺炎と頻脈性心房細動がみられるということで、2週間ほどの入院が必要と説明されました。実はこの時、私は少しほっとしたのです。多少疲れていても「大丈夫だ。」と言って仕事に出ていく人なので、しばらく病院に閉じ込めてもらえば少しは休養できるのではないかと思ったのです。
ところが、その夜「脈が取れなくなった。」と病院から急変の知らせがあり、慌てて駆け付けた私が見たのは、心臓マッサージを施される夫の姿でした。私は何が起こったのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くすだけでした。後に、甲状腺クリーゼによる心停止だったと聞かされました。その後、瀕死の状態で、人工心肺装置のある大学病院高度救命救急センターに再搬送されました。もともと体力があり丈夫な人だったので、翌日には心臓の動きが戻り、人工心肺を外すことができました。
しかし、心臓の動きが微弱で、血液循環が滞っていた時間が長かったため、脳をはじめとする多くの臓器が受けたダメージが大きく、集中治療室で18日間頑張った末、多臓器不全で亡くなりました。私にとっては、まさに青天の霹靂(へきれき)のような出来事でした。
夫の死によって私の周りの景色は色彩をなくし、モノトーンの世界へと一変しました。耳に入る音はすべて雑音に聞こえ、誰かに気持ちを伝えることもできませんでした。インプットもアウトプットもできず、固まった心で「何でこんなことになったのだろう」と考え続けました。私がもっと気をつけていればと自分を責め、病院に入院していながら何故助けられなかったのかと医師を恨み、何故はじめから大学病院に搬送してくれなかったのかと救急隊員を恨み、向けるべき矛先のわからない憤りで私の心は荒れ狂っていました。
そんな私の心に平静を取り戻すきっかけとなったのは1冊の本でした。以前、図書館にリクエストしていた本が、ようやく私の順番になって届いたのです。とても本を読む心境にはなれませんでしたが、読書好きだった夫の声が聞こえた気がしました。「眠れないなら眠くなるまで本を読んだらいい。俺の読書灯使っていいよ。」と。こうして、眠れぬ夜の読書が習慣になっていきました。そんな中、ある本にこんな文言を見つけたのです。
『もとより寿命なるものは人知の及ぶところではない。最初から定めが決まっている。土に埋もれた定められた命を、掘り起こし光を当て、よりよい最期の時を作り出していく。医師とはそういう存在ではないか。』
胸にストンと落ちるものがありました。
集中治療室で夫を見守った18日間は、沢山の不安を抱えて薄氷を踏むような辛い日々でした。反面、社会人となり、家を出てそれぞれの場所で、それぞれの生活を送っていた3人の娘たちが、毎日面会時刻になると集まってきて、意識が戻らないまま横たわる夫のまわりを取り囲み、声をかけ、体をさすり、時には思い出話に花を咲かせ......家族5人があんなにも長い時間、一緒に同じ空間にいたことは、近年あまりなかったことでした。そして、夫の死が近づいた頃、看護師さんが「血圧が次第に下がってきていても、ご家族が見えるとまた上がり始めるんですよ。」と教えてくれました。意識がなくても、彼には私たちがそばにいることが分かっていて、もっと一緒にいたいと頑張り続けているのだと思いました。大きな勇気と生きる力をもらった気がしました。
あの18日間は、夫が私たち家族に残してくれた最後の贈り物だったのだと思います。
そして、その時を作り出してくれたのは、最後まで諦めずに夫の命のバトンを繋(つな)いでくださったすべての医療関係者の皆さんでした。
あれから3年以上の歳月が流れてしまいましたが、今ようやく心からお伝えしたいです。「本当にありがとうございました。」と。
(文中の引用文言の出典「神様のカルテ」 夏川草介著)
フォト部門 一般の部 日本医師会賞
「がんばって」
土居 健二(どい けんじ)
愛媛県・81歳 ※年齢は応募時点
第6回生命を見つめるフォト&エッセー受賞作品一覧
フォト部門
<一般の部>
厚生労働大臣賞
「小さな笑み」脇元 まみか(30)
日本医師会賞
「がんばって」土居 健二(81)
読売新聞社賞
「縄張り争いの果て」渡辺 聡(63)
審査員特別賞
「90歳差の二人」古賀 美奈(31)
「ゆりかご」山本 芳子(66)
「平熱家族」馬場 このみ(37)
入選
「前へ前へ」千葉 洋(57)
「ともに過ごせる喜び」佐藤 義彦(54)
「誕生に立会う」長沼 勢津子(77)
<小中高の部>
文部科学大臣賞
「パパと遊んだ日」馬場 こころ(7)
優秀賞
「祖父と孫」杉浦 蒼可(12)
「あったかいなぁ」河本 心結(17)
「89才これに懸ける」塙 美咲(12)
エッセー部門
<一般の部>
厚生労働大臣賞
「私を救ってくれた保健師さん」江口 絵里子(38)
日本医師会賞
「最後の贈り物」池田 康子(63)
読売新聞社賞
「干支のぬいぐるみ」田上 寛容(52)
審査員特別賞
「終わり良ければすべてよし」小髙 綾乃(40)
「私を救った言葉」前田 俊武(75)
入選
「生きてこそ」河島 憲代(75)
「二度目のさよなら」阿部 廣美(73)
「Every day is a GIFT」秋澤 真希子(38)
<中高生の部>
文部科学大臣賞
「自宅で看取る」池田 帆那(12)
優秀賞
「祖父への手紙」西野 花香(14)
「命のつながり~母から学んだこと~」横浜 桃香(16)
「「意思疎通」は難しい」武知 涼太(16)
<小学生の部>
文部科学大臣賞
「命をつなぐ」岡田 藍生(9)
優秀賞
「ぼくの命も奇せきの命」髙橋 勇太(8)
「さみしくて不安で泣いた夜」立川 蒼羽(11)
※年齢は応募時点