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令和3年(2021年)2月5日(金) / 南から北から / 日医ニュース

マラソン

 私は30歳を過ぎた頃、広島県北の庄原市にある病院に勤務しておりました。冬になると雪が多量に積もり、そもそもの運動不足、不摂生な生活、雪による冬眠生活(単に寒いから動かないだけ、ただし冬を越すため、本能的に餌は多量摂取)のため、BMIは上昇し続けておりました。
 当時付き合っていた彼女(=今の嫁)が、見かねてジョギングシューズを買ってくれたのと、所属していたジムの優待券をくれたので、初めてルームランナーで5キロメートル走りました。時速8キロメートルほどのゆっくりしたスピードだったのですが、とてもきつかったのを覚えております。
 ただ、走り終わった後の解放感、達成感、食事、アルコールのおいしさ、走った自分に心酔?など、色々な要素が奇跡的に嚙み合ったためか、その後、自主的にスポーツジムに入会し、週に2~3回走り続けました。おかげで、半年もすると体重10キログラム減、体脂肪率も12%ほどまで低下しました。
 2年もすると、体力がそれなりについてきたのか、10キロメートルを47分ほどで走れるようになりました。調子に乗ってきて、嫁とフルマラソンに参加しようとの話になり、福知山マラソンに出場することになりました。実はこの時まで10キロメートル以上走ったことがなく、ネットで10キロメートルのタイムをフルマラソンでのタイムに換算すると、3時間57分だったので、これに合わせて、今思えばかなり無謀なペースで走り出しました。
 20キロメートルを1時間50分で通過したのですが、この辺りから乳酸がたまり、下半身が鉛のように重くなってきました。更に30キロメートルを2時間50分で通過しましたが、ここで完全に自走不能に近いポンコツの足となりました。ここからは歩行、散歩となり、途中で嫁にもいつの間にか抜かれておりました。何とか完走することはできたのですが、最後の10キロメートルは歩いているだけなのに、地獄のようにきつかったです。
 このマラソン参加を最後に、その後、大学病院、現在の病院へ赴任し、多忙のため現在では走ることもなくなってしまいました。最近、痛風発作を頻繁に来しており、もう一度あの頃のやる気を奮い立たせようとしている今日この頃です。

大分県 大分県医師会会報 第791号より

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