第3回「生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー」(日医・読売新聞社主催、厚生労働省後援、東京海上日動火災保険株式会社、東京海上日動あんしん生命保険株式会社協賛)の表彰式が2月15日、都内で開催された。
本事業は長年にわたり実施してきた「『生命(いのち)を見つめる』フォトコンテスト」と「『心に残る医療体験記』コンクール」を統合、平成29年度より新たに開始したもので、3回目を迎える今回も多くの作品が寄せられた。
冒頭、主催者を代表してあいさつした横倉義武会長は、多数の応募への謝意を示した上で、「入賞作品を拝見して改めて生命や絆の大切さに気づかされ、深い感銘を受けた」と述べ、受賞者への祝意を表した。
また、今夏の東京オリンピック・パラリンピックの開催を控えたマスギャザリング対策や新型コロナウイルス感染症への対応など日医の取り組みを紹介。人生100年時代を迎え、医師は治療主体の医療から予防や健康教育等を含め、人々の生や老いに寄り添っていく必要があるとし、「かかりつけ医」の重要性を強調した。その上で、日医としてもかかりつけ医機能の向上に努めていることを説明するとともに、「国民それぞれが住み慣れた地域で安心して健康に暮らしていくためのさまざまな政策を国に提言していきたい」と述べた。
加藤勝信厚労大臣(代読)他の祝辞に続いて、城守国斗常任理事が、フォト部門2708点、エッセー部門1091編の応募があったことを始め、審査の詳細等も含めた経過報告を行った。
引き続き表彰に入り、まず、フォト部門の厚生労働大臣賞、日本医師会賞、読売新聞社賞、審査員特別賞各1名、入選2名の受賞者に、それぞれ賞状・副賞が授与された後、エッセー部門「一般の部」については、欠席した審査員特別賞を除く厚生労働大臣賞、日本医師会賞、読売新聞社賞各1名、入選5名の受賞者、続いて、「中高生の部」並びに「小学生の部」の最優秀賞、優秀賞の受賞者に、それぞれ賞状・副賞が授与された。
その後の審査講評では、フォト部門審査員を代表して野町和嘉日本写真家協会長が、本コンテストに初めて審査員として参加したとし、自身が取材で世界各地を訪れた際に人間の生命の大切さを感じたことから、本コンテストのテーマにも共感を覚えるとした上で、それぞれの入賞作品について講評。「ヒューマニティあふれる作品が多く、どの作品も写真とタイトルがすばらしい。これからもぜひ写真を撮り続けて頂きたい」と述べ、受賞者を祝福した。
また、エッセー部門審査員を代表して養老孟司東京大学名誉教授は、「『生きる』『いのち』にはさまざまな側面があり難しいテーマであるため、審査員を引き受けてから、この3年間勉強させてもらっている。一人ひとりの体験は素晴らしく、それを文章にして伝えるのは難しいといつも思う」と述べた上で、同僚の免疫学者が障害を持ってから「毎日『生きる』ことを実感する」と言っていたことを紹介。「AI中心の社会となり、日常生活の中で生きることを感じることが希薄になっているが、生きるとは人間ならではのことであり、受賞された皆さんにはずっと生きることのすばらしさについて書き続けて欲しい」と述べた。
なお、今回の全ての入賞作品は日医ホームページに掲載する他、冊子としてまとめ、『日医雑誌』5月号に同梱して送付する予定としている。
エッセー部門 一般の部 日本医師会賞
「拝啓、がん様」
安藤 かおり
鹿児島県・66歳
「子宮体癌(がん)ステージⅢです。」
4年前、診察室で医師からそう告げられた時が、私とあなたが出会った瞬間でした。私の目の前は真っ暗になり、これから私はどうなってしまうのかという恐怖が、私の体を刺し貫きました。
大きな手術でした。堪(こら)え難い術後の痛みを乗り越えたと思ったら、すぐに抗がん剤治療が始まります。強烈な副作用のため食事が一切摂(と)れず、吐き気に苦しむ日々。秒針の進みが遅いことにいら立ちを覚え、ただただ副作用から逃れられる時が来ることを祈るだけです。髪もまつ毛も、容赦なく一本も残さず抜け落ち、鏡で見る自分の姿を受け入れることもできません。この苦しみと悲しみが、あなたにわかりますか?
でも、そんな苦しい入退院を繰り返す間に、たくさんのがん友だちができました。同じ病気で苦しみを味わっているので、辛(つら)さはお互いによくわかります。話すうちに「なんで私だけが、こんなに苦しまなくてはならないのか」という気持ちが不思議と昇華していき、休憩室でお茶を飲みながらの話題は、次第にがんの辛さや不安より、楽しい話やうれしかった話、初恋の話等に変わっていきました。私だけではなく、がんと闘う友だちみんなが「辛い話だけしていたって、前には進めない」と自分に言い聞かせるつもりで、楽しい話をしていたのだと思います。
そんな休憩室で、ある友だちがこんな物語を語ってくれました。彼女は、昼はかつお節工場で働き、夜は近くのお店でパートをしながら、女手ひとつで3人の子供さんを育ててきました。苦労して育てた子供も成人し、さあこれから......という、第二の人生を楽しもうと思っていた矢先に、がんと宣告され打ちひしがれていた時、同窓会で同じく伴侶を亡くし独り身で生きてきた初恋の人と再会したのです。
「焼け木杭(ぼっくい)に火がついたよ」
と、彼との順調な交際のことや、治療が一段落したら一緒になろうと約束していることを、少女みたいにほほを赤くして話す彼女が本当に可愛(かわい)らしく、また、彼女が「一緒にがんと闘っていこう」というパートナーと出会えたことが、自分のことのようにうれしくて、
「きっとその幸福感でがんも逃げていくよ、おめでとう。」
と、皆でうれし泣きをしながら、祝福しました。闘病のことを忘れさせるほどの情熱が湧いた彼女、今まで頑張ってきたご褒美(ほうび)だと思います。不幸と不幸の間には、必ず幸福が与えられるから、何があっても前を向いて生きる想(おも)いが大切であることを教えてもらいました。
また、
「自分の体は、骨まで転移していて、痛み止めもあまり効かないのよ......。」
と、笑いながら話してくれる友だちは、家に残してきたご主人に毎日電話をするのが日課。
「父ちゃん、明日は寒くなるそうだから、ちゃんと厚めのジャンパーを着て出かけるんだよ」
と、自分の闘病の苦しみは隠したまま、夫への気遣いの言葉を重ねる会話に、家族への思いやりの大切さ、自分だけが辛いんじゃない、本人の痛みを代わってやることもできない家族は、ただ気を遣うだけしかできず、もっと辛いはずだと、自分の辛さだけで家族に八つ当たりしていた自分を反省しました。
私は多くのがん友だちと過ごす中で、治療困難であっても、自分の生き方を最後に決めるのは、自分なのだと学びました。自分が自分らしく生きるような選択をすれば、私も彼女たちのように、すがすがしい気持ちで生きられそうな気がするのです。
あの人たち、今どうしているかな? と気になります。でも、がん病棟では、誰一人として電話番号を交換しようとしません。きっと、皆わかっているのです。電話をしたとき、相手が必ずしも生きていてくれる保証がないことを。一期一会......それでいい。入院中の辛さを分かち合った友だち達、どうか元気に過ごしていてください。彼女たちと出会えたことに、私は心から感謝しています。
がん様。あなたとも一期一会で終わりたかったのに、4年目、また再会してしまいましたね。今度は肺と腎臓への転移。でもあなたとの出会いにも、悪いことばかりではなかったと、出会った頃の恨み憎むような思いは消えてなくなり、おかげさまで感謝できるようになりました。私の命は、友だちや家族をはじめ、多くの人に支えられて今ここに在ります。平穏に日常が送れるだけで幸せであるということや、たくさんの出会いに感謝しながら、いつまでかはわかりませんが、あなたと共に生きていきましょう。でも、もう少し歩みをゆっくりお願いしますね。
またお便りします。
かしこ
フォト部門 日本医師会賞
「末は横綱」
杉谷 幸雄
滋賀県・71歳