平成29年度日医総研セミナーが「生命倫理について―終末期を迎えるにあたって―」をテーマに10月7日、日医会館小講堂で開催された。
冒頭、開会あいさつで横倉義武会長(石川広己常任理事代読)は、日本の高齢化の状況を説明した上で、人生の最期の時間をどこで、どのような医療・ケアを受けて過ごしたいのか、かかりつけ医や家族と相談しながら考えておく必要があることを強調。
9月に行われたアジア大洋州医師会連合(CMAAO)東京総会でも、終末期医療に関するシンポジウムが行われたことに触れ、「終末期医療に対する考え方は個別的で多様であり、各国・地域の文化や宗教、慣習なども大きく影響している。諸外国でも、良い終末期医療とは何か、模索しているのが現状である」とした。
その上で、10月に就任する世界医師会長として、超高齢社会を迎えた日本から世界に向けて、終末期医療のあり方について更なる議論を提起していきたいとの姿勢を示した。
続いて、3題の講演が行われた。
「それぞれの終末期―臨床医からみたラストステージ」と題して講演した澤倫太郎日医総研研究部長は、積極的安楽死が法律で認められているオランダについて、いくつもの事例を経て、精神的苦痛にも安楽死が認められるに至った経緯を概説。その背景として、オランダには、(1)個人の自己決定が尊重される社会である、(2)契約家庭医が存在する―という安楽死を認める土壌があることを挙げた。
一方、日本では平成19年に「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」(平成27年名称変更)が取りまとめられたものの、積極的安楽死は対象とされなかった要因として、家族とのつながりが強く、一人では決められないという国民性の違いもあるとした。
また、配偶者の終末期に遭遇した経験として、37歳で乳がんが発覚、42歳で亡くなった自身の妻の症例を紹介。がんが全身に転移した状態であっても最期まで家族に尽くした妻や子ども達とのエピソード、臨床医でもある自らの思いなどを述べ、患者と患者を取り巻く家族・友人それぞれの終末期があるとの考えを示した。
「最期の医療 決める、伝える」と題して講演した田中美穂同主任研究員は、厚生労働省の「人生の最終段階における医療に関する意識調査」(平成26年)より、自分の終末期について、家族と話し合っているのは一般国民の4割で、事前指示を持っているのは3%に過ぎないとした。
また、事前指示については、患者が全ての状況を想定して指示することには限界があるだけでなく、患者、家族、医療従事者間で治療方針が話し合われないまま、治療方法の選択が迫られるなど、患者の代わりに決定・同意する家族の負担が大きいことから、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)が考案されたとした。
ACPについては、将来、判断能力を失った場合に備えて、今後の治療・療養についての気がかりや価値観を、患者と家族、医療従事者などが共有し、ケアを計画する包括的な話し合いのプロセスであると解説。各医療機関を始め、国レベルでの取り組みが広がっている現状について述べた。
「終末期医療の中止の許容性:わが国における関連裁判例の分析」と題して講演した前田正一同客員研究員・慶應義塾大学大学院教授は、末期医療関連で警察介入がなされたケースを時系列に沿って説明。
最終的に起訴の対象となり得るのは、薬物投与など積極的安楽死のケースであるとするとともに、人工呼吸器を外すなど治療中止のケースは、回復の見込みのない末期状態にある、治療行為の中止を求める患者の意思表示が存在するなど、一定の要件の下に許容されるとの判決(横浜地裁平成7年3月28日)が出ていることにも言及。末期の判断は複数の医師で反復した診断を行い、これらの記載を行うことが大切だとした。
中止の対象となる措置は、薬物投与、化学療法、人工透析、人工呼吸器など治療措置の全てであり、法的・倫理的・社会的に問題とされないためには、一定の基準(要件)を満たすことと、一定の手続きを踏襲することが重要だと強調。医療行為の中止に当たっては、「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」に従い、多専門職種の医療・ケアチームによって、医学的妥当性と適切性を基に慎重に判断すべきであるとした。
その後、質疑応答が行われた。参加者は97名であった。