坪井家、日医、日本医療機能評価機構の三者共催による坪井榮孝元会長のお別れ会が4月19日、日医会館小講堂で開催された。
今村定臣常任理事の司会により開会した後、黙禱が捧げられた。
主催者を代表してあいさつした横倉義武会長は、がん研究活動の実践の傍ら、卓越した見識と強力なリーダーシップをもって、地域住民の健康と生命を守るために医師会活動にも積極的に取り組まれたこと、また、日医会長として、第52代世界医師会長への就任を始め、日医総研や日医治験促進センターの設立、医師会総合情報ネットワーク構想とその研究の推進、介護保険制度の創設と円滑な施行への対応などに尽力されたことに言及。
「残された我々は、先生の遺志を継ぎ、国民医療の更なる向上と、世界中の人々の健康保全と福祉の増進に向けて、最大限の努力をし続けていく」と霊前に誓うとともに、哀悼の意を表した(写真)。
同じく主催者を代表して井原哲夫日本医療機能評価機構理事長は、「日本医療機能評価機構の創設及び事業推進に尽力された坪井先生の遺志を継ぎ、医療の質の向上と安全の確保のために邁進(まいしん)するので、温かく見守って頂きたい」とあいさつした。
続いて、生前、坪井元会長と深く親交のあった柳田邦男氏が、自身の著書である『ガン回廊の朝』を引用しながら、在りし日の坪井元会長との思い出を披露。
東日本大震災の翌年に再会した際、坪井元会長が、「私の人生は間違っていた。若い頃は研究熱心のあまり、一人ひとりの患者さんを診ていなかった。自分の人生はこれでよかったのか」と吐露されたことに触れ、「価値のある瞬間は永遠に生きているものだと思っている」と励ましたが、この日が坪井元会長との最後になってしまったと振り返った。
副会長として坪井元会長を支えてきた糸氏英吉元日医副会長は、「私が日医の役員に就任してからの12年間、医療保険制度の抜本改革等、重要課題が山積する中、坪井先生は先頭に立ち、その大きな包容力と指導力によって執行部を牽引してきた。中でも、救急救命士法の成立、日本医療機能評価機構の創設、日医総研(シンクタンク)の設立は、日本の医療界にとって大きな功績であった」と当時を振り返るとともに、「少子高齢化や医学・医療の進歩など、これからの医療界は国家経済と絡み、ますます混迷の度を深めていくが、『医道士魂』の言葉を究極の目標とされた坪井先生の人類愛こそ、今後の我々の道しるべとなり、我々の心の中に生き続けるだろう」と述べた。
加藤寿彦日医代議員会議長の献杯あいさつ、懇談の後、ご子息である坪井永保氏より、ご遺族を代表して謝辞が述べられ、閉会となった。
なお、当日は、坪井執行部時代の先生方を始め、坪井元会長とゆかりの深い方々およそ250名が参列し、献花を行い、遺徳を偲んだ。