10近く歳の離れた姉は、身内が言うのもどうかと思うが、超のつく美人である。ぱっちりした目と鼻筋の通った華やかさは、一応二重まぶたでも普通の日本人顔の私とは誰が見ても全く似ていない。まあ、わが家は全員お互いが誰とも似ていないのだが、姉妹でも生まれてくる年が離れるとこうも違うかと思うほど、姉と私は特に、幼い頃から誰がどう見ても似ていなかった。
姉の美しさは昔から周りで有名であった。母と小学生の私とが出先で滅多に会わない知人に遭遇すると、「あら、下のお嬢さん? あんまりお姉ちゃんと似てないのねえ」という悪気のない明るい声とともに、何だか可哀想な子を見るようなまなざしを向けられたのを覚えている。そんなことは一度や二度ではなかったのだが、美しい娘時代真っ盛りの姉とまだ造作の整わない子どもの私とでは当然だったのかも知れない。当時の私は別段それを困ったことと認識するでもなく、外見を気にするようなませた子どもでもなかったので、あいまいな笑みを浮かべつつ、立ち話をする大人たちをただ待っていた。比較されても何とも思っていなかったつもりであるが、とはいえこうしていまだに覚えているということは、やっぱり少しは面白くない気持ちもあったのかも知れない。誰だって美人と言われた方がうれしいに決まっている。
先日両親と私とで京都に行く機会があった。茶の湯の世界では千利休からの流れとなる茶道具を作る家系を職家と言い、千家十職と呼ばれるが、その中の塗師、中村宗哲家にお邪魔することができた。こんな機会は滅多になく、美術館のガラス張りで見るような歴代の塗物を目の当たりにし、宗哲氏直々にお話し頂いて我々は平静を装いつつも内心大興奮であった。ミーハーの我々母娘は宗哲氏と一緒に写真を撮って頂いて興奮のまま帰路につき、後日母がこれを自分の茶道の先生にお見せしたところ、まあ母娘で似てらっしゃるのね、と言われたそうである。
母は「私たち似てるって言われちゃった~」とうれしそうに飽かず写真を眺めてはにこにこしていた。申し訳ないことに、もはや宗哲氏そっちのけである。大人のあいさつとして似ていると言われたにしても、うれしそうな母を見ているのがうれしかった。美人の方がうれしいに決まっているのに、超美人ではない方の娘、私と似ていると言われて喜んでいる母を見ているのがうれしかった。母は私と似ていてうれしいんだ、と思ったら、なんだか胸がきゅうとした。私も母に似ていると言われて、うれしかった。
似ていないつもりでも肉親というのは年月が経てばどこか、顔であれ雰囲気であれ、だんだん似てくるものなのかも知れない。きっと姉も私もお互い同士はまだそうでなくても、それぞれ少しずつ母に父に似てきているのだろうか。大事な人と似ていると言われるとうれしい。うれしくて余計に距離が縮まる。似ていると言われて喜んでくれている母、親子で次第に似てきた両親に孝行したいと思う。与えてもらった愛情には感謝してもしきれないし、私なんかにできることは限られているのだけれど、似ていると言われて母が喜んでいるということは、小さな親孝行の少しだけでもできているのかなと思ってまた胸がきゅうとして、涙が少し出た。(一部省略)