いち外科医として、地域の医療人の支援者として、
故郷のために貢献したい
~乳腺外科医 溝尾 妙子先生~(前編)
地域の人のために働きたい
神﨑(以下、神):溝尾先生は、岡山県新見市で総合診療医・乳腺外科医として働きながら、岡山大学と新見市が共同で地域の医療者を支援・育成する「PIONEプロジェクト」を推進していらっしゃいます。ご自身も新見市がご出身ということで、医師になられた時から、いずれは新見に帰りたいという思いをお持ちだったのですか?
溝尾(以下、溝):そうですね。新見は高次医療機関まで1時間半以上もかかるへき地で、私が子どもの頃は、田舎というコンプレックスもあいまって、住民の医療に対する不信感が根強かったんです。「こんな土地に良い医者が来るわけない」「どうせ嫌々診ているんだろう」というイメージがあったようですね。一方で医師の方も、「仕方なく田舎に来てやっているんだぞ」という雰囲気が出てしまっていたのかもしれません。子どもながらにそうした溝を感じていたのか、私は自然と、「新見のためを思って働ける医師になりたい」と思うようになりました。
神:乳腺外科を選んだのはどうしてですか?
溝:外科のスキルをしっかり持った総合診療医になりたいと考えたからです。新見には基幹となるような大きな病院がないため、小児から高齢者まで、内科的なことも外科的なことも幅広く診療できる医師が必要です。私も将来新見で働くことを見据え、まず外科の手技を身につけようと思ったのですが、当時は女性が一般外科に入るのは難しい時代でした。そこで、外科の中でも比較的女性が入りやすい乳腺外科を選びました。
神:その後しばらくは、乳腺外科医としてキャリアを積まれたのですね。
溝:はい。臨床研修を終えていざ乳腺外科に入ると、手技の修練を積むのがとても面白かったんです。医局の人事に従って、香川や姫路など様々な場所でキャリアを積んできました。
いち外科医として、地域の医療人の支援者として、
故郷のために貢献したい
~乳腺外科医 溝尾 妙子先生~(後編)
結婚と、地元への足がかり
神:「PIONEプロジェクト」には、どのような経緯で携わることになったのですか?
溝:3年前、岡山大学医療人キャリアセンター「MUSCAT」のサテライトオフィスが新見公立病院に新設されることになり、担当者にならないか、と声をかけていただいたのです。ちょうど大学で研究をして学位を取ろうという時期でした。乳腺外科医として専門性を高めることに集中する一方、頭の片隅では新見のことを思い、「このままで良いのだろうか」とずっと葛藤していました。新見には医局の関連病院もなく、私の両親も医師ではないので、新見に帰る方法がわからなくて。このお話を頂けて、やっと新見への足がかりができたんです。
神:さらに時を同じくして、ご主人と出会ったのですね。
溝:はい。研究生活に入って少し余裕ができ、プライベートのことを考え始めたんです。年齢的にそろそろ出産したいな、と思い始めた時期に、新見出身の夫と出会えたことは幸運でした。夫も医局人事で異動があり、しばらくは別居婚でしたが、いずれ一緒に新見に帰ろうという話はしていました。
神:その後出産もされていますね。産後はどのような働き方をされていたのですか?
溝:「MUSCAT」の支援で、産後3か月で助教として復職することができました。新見の夫の実家で子どもをみてもらいながら、新見と岡山を行き来する生活を送っていましたね。昨年4月に夫が新見で働くことが決まり、私も新見に拠点を移して、家族3人が一緒に暮らせるようになりました
医師が集まる地域にしたい
神:現在主に勤務されている病院では、乳腺外科の手術をされることはありますか?
溝:一応手術ができる環境はありますが、あくまでメインは総合診療的なアプローチであり、サブスペシャルティが乳腺外科という姿勢でいます。「新見のようなへき地で働くうえで、乳腺外科という専門性の高い領域の経験は活きるのだろうか…」と不安になったこともありましたが、抗がん剤治療や地域の検診の際など、乳腺外科で培った知識が役立つ場面が多々あって、良かったなと思っています。
神:「PIONEプロジェクト」では、現在どのような活動をされているのですか?
溝:新見をはじめ岡山県北の医療者が働きやすいよう、時短勤務などのキャリア支援制度の導入や、シミュレーショントレーニングやe-ラーニングを活用したキャリア形成支援を行っています。また、新見市と協力して、小中学生向けに出張授業や医療体験ツアーを開催するなど、次世代の医療者を育てる試みにも力を入れています。
神:今後は「PIONEプロジェクト」を通じて、緊急手術なども含め、新見の中である程度完結した医療体制を整えていくことが目標になりますか?
溝:そうなったら素敵だなと思っています。新見で初めて虫垂炎の手術ができた時も、本当に嬉しかったですから。でも現状は人手が足りず、大きな手術ができるような体制を整えるにはまだまだ道のりは遠いと感じます。最近は、新見で完結させることにこだわる必要もないかな、とも思い始めました。地域で働くいち外科医としても、責任を持って診断をつけたら、その先の手術は大病院にお任せするという気持ちでいます。
神:新見の医療の今後に対する、先生なりのお考えをお聞かせください。
溝:「PIONEプロジェクト」を起点として、新見を医療者が集まる地域にしていきたいです。医師が「この地域のために働きたい」と自ら集まってくれるような仕掛けを作ろうと思っています。また、新見市内の病院で連携して、新見の中で研修医を育てていけるような体制も整えていきたいですね。
神:先生や先生のご主人のように、「新見の医療に貢献したい」という強い意志を持っている方が一組いるだけで、地域の医療者も自ずと変わってくるのではないかと思います。本日はありがとうございました。ますますのご活躍を期待しています。
語り手(写真左)
溝尾 妙子先生
医療法人思誠会 渡辺病院
新見公立大学 非常勤講師
岡山大学 非常勤講師
岡山大学医療人キャリアセンターMUSCAT(新見地区担当)
聞き手(写真右)
神﨑 寛子先生
神崎皮膚科 院長
岡山県医師会 理事
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