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令和4年(2022年)11月5日(土) / 南から北から / 日医ニュース

日本の故事の臨床への応用について―草履取り・木下藤吉郎と織田信長と聴診器:発想の転換―

 右記の副タイトルで、ははん!と思われた方は歴史好きの方とお見受けする。素晴らしい! そうでない方のために駄文を草すると、そもそもの発端は太閤・豊臣秀吉がまだ織田信長に仕えて草履取りをしていた、「日吉」改め「木下藤吉郎」と称していた若い頃のある寒い冬の朝のことである。
 外出しようとした信長が藤吉郎に「草履を持て」と命じ、藤吉郎が急いで草履を信長の前にそろえ、信長がその草履を履いた途端、眉間にたちまち癇筋(かんすじ)を立て、「この無礼者めがっ!」と一喝。この時信長の直感では、寒い冬のことなので当然草履は冷たいものと思っていたのに、それが予期に反して温かだったので、「猿(当時藤吉郎に付けられていたあだ名)のやつめ! 寒いのでわしの草履を尻の下に敷いてわしを待っていたのに相違ない!」と思ったのだった。しかし藤吉郎は、実は信長様が草履を冷たく感じられないように、とその草履を自分の懐に入れて温めていたのだ! その証拠に彼の懐の中は信長の草履に付いていた土で汚れていたのであった。このことがあってから信長は、藤吉郎はよく心遣いの行き届いた小者だと認めるようになった。これが藤吉郎の出世の端緒でもあった。
 この話を初めて聞いたのは筆者がまだ国民学校(今で言う小学校)の4年生か5年生の頃、大東亜戦争(第二次世界大戦)の真っ最中のことで、母から話してもらって、とても感心したことを記憶している。後年の秀吉が人譲(ひとたら)しと言われる程、多くの人々をその行き届いた心遣いで魅了し、心服させるようになったのも、この藤吉郎の時代に既にその萌芽(ほうが)があったに違いないと思わせるエピソードである。このエピソードを読書好きだった母がどこから仕入れていたのか? 母の存命中に聞いておけば良かった、と残念である。
 ところでなぜ聴診器がここで出てくるのか? それは、聴診器を患者の肌に当てる部分(Chest piece)は、冬の朝には冷えきっていて冷たく、それを肌に当てられて診察を受けるとゾクッと寒い思いをすることから、藤吉郎の故事に倣(なら)ってこれを温めておくことに応用しようと思い立ったことにつながる。
 省エネのために、聴診器は冬には暖房を切った部屋で一夜を過ごしているので、朝には冷え切っていることが多い。朝の外来診療開始時、病棟の回診時、集団健診で講堂や体育館のような天井が高く広い健診スペースで、健診が始まったばかりで暖房が十分効いてこずに室温が低く寒い朝など、冷たい聴診器を当てられると、思わずゾクッとすることは容易に想像できる。
 筆者は冒頭に述べた木下藤吉郎と織田信長の草履の故事に倣って、冬の聴診器のChest pieceを自分の懐に入れて温めておくことを思いついて、当初はそれを実行していた。しかしそれでは効率が悪いためにその後これを改善したので、それをご紹介するために本稿を書いている。
 本稿の副タイトルの末尾に「発想の転換」と掲出したのがそれである。聴診器を温めるのに、現在はスーパーマーケットなどで売っている、刺身の下に敷いて鮮度保持のために用いられている「保冷剤」を活用している。保冷剤のジェルは、本来刺身などの鮮度を保つために冷却・保冷用に使われているのだが、これは一旦冷却すると温まりにくく、また氷のように溶けて水浸しにもしない、という便利な性質を利用したものである。冷やすと温まりにくいものは、逆に温めると冷めにくいのだから、これは逆に保温剤としても使えるに違いない!と筆者は発想を転換した。
 当初はこの保冷剤を熱湯に入れて温めておいたものを白衣のポケットに入れ、そこに聴診器のChest pieceを当てて温めていた。しかしこれでは湯を沸かすための容器も水も必要、火力も必要、加熱されたものを熱湯から取り出すためのピンセットも、濡れているのを拭き上げるタオルも必要、と手間と時間が掛かる。そこで現在は調理用のマイクロウエーブを使って、保冷剤(約300グラム)を500ワットで30秒間加熱して使っている。この時間だと保冷剤の袋が破裂することもない。もしそれが懸念されるなら、この保冷剤を茶封筒に入れるか、別のビニール袋に入れて加熱されると良い。
 加熱終了の「チン」という音が聞こえると、いつも「猿」と言われていた若い頃の秀吉の剽軽(ひょうきん)で明るい、前途洋々たる天下を夢見ていた頃の顔がいろいろ想像されて楽しくなり、またその温かい聴診器を当てられる患者さんのホッとした顔が思い浮かんでくる。聴診をしている時間は、単に心音、血管音、呼吸音、腸蠕動(ぜんどう)音などの所見を聞き取るだけではなく、患者さんの心を思いやり、かついろいろな鑑別診断を進めて思索をしている貴重な時間でもある。
 遠い昔、学生達が聴診器を「聴心器」と誤って書いたレポートを度々訂正した記憶があるが、最近はこの「心」は心臓を表す「心」ではなく、文字どおり「こころ」を表しており、患者さんの「こころ」を聴く、そして自分の「こころ(智・情・意)」で聴く高次の機能も聴診器にはあると思っているので、あながち「聴心器」を誤字であると決めつけるわけにはいかないような気さえしてきている。

福岡県 福岡市医報 第59巻第1号より

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