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令和3年(2021年)12月5日(日) / 南から北から / 日医ニュース

カルボナーラ

 コロナ禍の始まる前の夏、イタリアから3人の若者が尾道(おのみち)にやって来ました。彼らは長男の友人で、バカンスを使って、初めてヨーロッパ外へ出ました。3人はイタリア北部のパドヴァの街のコンピューター会社で働いている同僚です。長男宅に宿泊して、早速瀬戸田のサンセットビーチに海水浴に出掛けました。
 夕食は歓迎会をしようと、19時に近くのイタリア・レストランを予約しました。19時、私の一家はレストランに集まりました。その時携帯に連絡が入り、「船に乗り遅れたので、次のになる」とのことです。次と言っても一時間以上あります。冷たいビールが待ちきれない我々は、先に始めることにしました。
 彼らが到着した時には、我々は相当でき上がっていましたが、巨体の3人を囲んで宴会は再開されました。陽気なイタリア人達は、遅刻など気にすること無く、どんどん飲んで食べて喋(しゃべ)ります。
 そのうちパスタが出てきて食べ始めました。変わった味だが、日本の特製かと問うので、私は意外な感じがしながら、「カルボナーラ」と答えました。彼らは一瞬フォークを置き、両手を開いて「カルボナーラ!」とお互い見つめ合いました。少しの沈黙の後、一人が私に、「これはカルボナーラではない。クリームが掛かっている。もしもイタリアで、これをカルボナーラと言ったら、撃たれるであろう」と言って、人差し指をピストルのようにして自分のこめかみに当てました。「しかし、これはいい味だ」と付け加えました。イタリア人の客と言うので、心配そうに見ていた店の人達も、一安心したようです。その後、二次会、三次会と回って、皆が寝入ったのは午前様でした。
 翌日なかなか起きて来ないので、心配してのぞいてみると、朝食も食べず皆寝入っていました。長男が観光に行かないかと誘うも、彼らは「バカンス」と言って寝続けています。彼らのバカンスとは、時間やスケジュールに縛られず、のんびりと過ごすもののようです。
 昼食を簡単に済ますと、彼らは、「今晩は本物のカルボナーラを食べさせる」と言ってスーパーに出掛けていきました。夕食ができたと言うので、皆がまた集まりました。見るとキッチンに、いろいろな鍋が並んでいます。第一の皿と言って出てきたのが、カルボナーラです。なるほど、卵とべーコン、チーズと胡椒のシンプルな味付けです。日本の前菜に当たりますが、これだけで満腹になりました。続いて第二の皿、スカロッピーネという牛カツのようなソテーに尾道レモンとキノコで味付けしてあり、あっさりした味です。これもボリュームたっぷりで食べ切れません。彼らはまるで自分の家でのパーティーのように喋って、飲んで、食べ続けています。そしてデザートは、おなじみのティラミスです。冷蔵庫から取り出したのは超ビッグサイズです。それを取り分けてくれましたが、もう食べられません。長くてヘビーな夕食会は、夜遅くまで続きました。彼らのお陰で、日本版イタリア料理と本場のイタリア料理とを同時に味わうことができました。彼らは料理が趣味とのことで、レストランも開ける腕前です。
 その後も彼らは数日、のんびりと尾道で過ごした後、広島、関西、そして東京と回って、三週間の日本でのバカンスを終えて、帰国しました。帰国後もまだ一週間程の休みが残っていると聞き、大変うらやましく思いました。
 われわれ日本人は、十連休にもなったゴールデンウィークを、いかに過ごすかと悩んだり、海外へ出掛けると、過密なスケジュールをこなし、くたびれ果てて帰国するような休暇の過ごし方をしていないでしょうか。時間を気にせずに、思いのまま過ごす彼らのバカンスのあり方を見習う必要がありそうです。彼らのバカンスは、人生そのものなのです。

(一部省略)

広島県 広島県医師会速報 第2480号より

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