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平成29年(2017年)3月5日(日) / 南から北から / 日医ニュース

温飯器

 昭和30年代のことである。学校で、冬になるとクラスごとにお弁当を温めるための炭火用の温飯器が教室の隅に置かれた。朝登校して各自が温飯器にアルミ製のお弁当を並べておくと、10時頃からお弁当は温まり、次第におかずとして一緒に入っているタクアンや梅干しの香りが教室中に蔓(まん)延(えん)し、その匂いで授業内容は上の空だった。中には納豆を入れてくる人もおり、その匂いは混合されて独特な強烈な匂いとなった。しかし、匂いについて誰も口に出す人はなく、昼食に温かいご飯を食べたのが懐かしく思い出される。
 その後、ご飯とおかずは別々のお弁当箱になった。おかずを入れるお弁当箱として、ごはん用より小型で、汁が入っても漏れないようにふたの裏側にゴム製の輪が付いて、それをパッキン式で密閉できるお弁当箱が売り出されたからである。これまでのお弁当箱ではご飯と一緒なので、おかずは汁の出ない佃煮や漬け物が主であったが、おかず用の小型のお弁当箱ができたので、汁の出るおかずも昼食で食べることができるようになった。すなわち、煮物も昼食のおかずの仲間入りをするようになったのである。従って、ご飯だけが入っているお弁当箱を温飯器で温めるようになったので、温まってもおかずの匂いはしなくなった。
 母に、「これからはお弁当のおかずに煮物も大丈夫よ」と言ったら、早速、糸こんにゃくとゴボウと麩の煮物をおかず用の小型のお弁当箱に入れてくれた。昼食時に温かいご飯と一緒に、常温の小型のお弁当箱の煮物のおかずを食べようとしたらふたが開かないのである。何度も力一杯開けようとしたが開かなかったので、仕方なくおかず抜きで味のないご飯を食べた。
 ふたが開かなかった理由は、母は煮物ができたての熱い状態でお弁当箱のふたを密閉してしまったために、常温になった時には内側の圧が低くなってしまった状態だったからである。煮物を常温まで冷ましてからお弁当箱のふたを閉めるという、基本的な知識が不足していたのである。しかし、朝の忙しい時間に母が煮物のおかずを頑張って作ってくれて、冷ますまでの時間がなかったことが原因であることが分かった時には、愚痴を言う気持ちにはならなかった。その後もこのような失敗談はいろいろあったが、とにかく煮物がお弁当のおかずに仲間入りできたということは一大革命であった。
 今は学校では給食が普及し、また職場の休憩室には電子レンジがほとんど常備されている社会になったので、あの時代を生きてきた人以外は温飯器でのエピソードについて理解することは難しいであろう。

山形県 山形市医師会たより 第563号より

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