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令和5年(2023年)9月5日(火) / 南から北から / 日医ニュース

お化けの話

 日夜診療に励んでおられる先生方には、お化けの話など何を馬鹿なとの誹(そし)りを受けそうだが、たまには与太話も一興かと思い書いてみた。
 洋の東西を問わず、人はみんなこの手の話が好きである。シェイクスピアの『ハムレット』『マクベス』、日本では『四谷怪談』があまりにも有名だ。最近では、村上春樹氏にも『レキシントンの幽霊』という短編があり、彼がアメリカのレキシントンのアパートに住んでいた頃に幽霊に出くわした話が紹介されている。とにかくレキシントンでは幽霊の出ないアパートを見付けるのは至難の業であるらしい。
 宮部みゆきさんの小説にも怪奇現象を扱った作品が多い。宮部ワールドに出てくる幽霊はどれも人間的で優しい。そんな作品の一つに『あかんべえ』というのがある。「高田屋」の包丁人、太一郎の幼い娘"おりん"は、当時の死の病・はしかで7日間高熱にうなされている。三途の川原まで行ったが、そこで川原番のおじいさんと出会い「まだここには来なくていいよ」と優しく声を掛けられた。この時、おじいさんがのぞき込んでいた水たまりの水を指でペロッと舐めてみた。おじいさんは狼狽(ろうばい)してしまった。この水たまりは下界をのぞいて次にここに来る人間を探すためのものだ。
 この世に戻った"おりん"は相変わらず高熱が続いていたが、誰かが冷たい手で額を触っているのに気が付き、ぼんやりと目を開けると女の子が"あかんべえ"をして顔をのぞき込んでいた。しばらくすると見たことのない灰色の顔をした按摩(あんま)さんが全身を按摩してくれた。おかげで熱も下がりすっかり元気になった。この後も幽霊達に助けられて難解な事件を解明していくというストーリーだ。"おりん"は三途の川原の水を舐めたことによって"見える人"になったということだ。
 わが家の次女が、小さい時はよく病気になり、揚げ句の果てには階段から落ちて右腕を骨折するなど不運続きで先行きが思いやられた。そんな折に知人の紹介で半信半疑で"見える人"に見て頂いた。すると「この子には水に濡れた女の子が憑(つ)いている」と言うのである。親戚中に問い合わせてみると、ある親戚から心当たりの女の子がいたとの返事をもらった。
 今度は除霊できるという人を紹介して頂いた。普通の民家で、TVで見るような仰々しい祭壇も無く、大声で呪文を唱えることもない。いわゆる"ハンドパワー"だ。施術後に娘が言うことには「急に体が熱くなって眠くなった」とのことだ。
 その後は見違えるほど健康になり、高校までバレエのレッスンを続けた。中学1年生の時には単身でイギリスに短期留学に赴き、大学、大学院は共に推薦で入学し、入職した国立大学病院では、いきなり研究グループのチーフに抜擢(ばってき)された。学生時代から交際していた医学生とは後に結婚して2児の母親になった。今にして思えば、除霊によって宮部さんが言う"ご加護を受けている人"になったのかも知れない。ちなみに家内も子どもの時に急に足が立たなくなって除霊したことがあるとのことだ。
 当院も開院29周年を迎えた。開院当初のこと、一人の職員が「先生、レントゲン室に男の子がおる」とおびえた様子で言った。そんな馬鹿なと無視したが、もう一人の職員も「私も見ました」と言い出した。その気になって夜1人で残業していると、バケツが転がる音が聞こえたり、パタパタと子どもが小走りする音が聞こえたりした。
 ある時、昼休みに休憩室で休んでいると、カウンターの向こうを診察室の方から子どもが走り出てきてトイレに駆け込んでドアを閉める音がした。まだ誰かいたのかといぶかしく思ったが、一向にトイレから出てくる気配が無い。職員にトイレを確認してもらったが誰もいなかった。
 2階にある自宅でも、床に転がっていたゴルフボールが目の前で突然1メートル程転がったり、トイレのドアが突然バタンと勢いよく閉まったりで、今夜は上に遊びにきているなとつい頬が緩んだ。
 「座敷わらし」を見た人は運気が開けるとのジンクスがあり、昔から政治家や有名人がこぞって東北の「座敷わらし」の出る旅館を訪れているという話は有名である。わが診療所も、この「レントゲン室わらし」がいてくれたおかげで、大きなトラブルも無く健康でここまでやってこられたのだと思っている。
 日中関係が良好な時期に「万里の長城」を見にいった。その時に北京の骨董屋で掛け軸を買ったが、ついでに魔除けにレントゲン室に置いてみようと翡翠(ひすい)の壺を買った。これが災いしたのか、徐々に"わらし"の気配がしなくなった。"わらし"に申し訳ないことをしたと少し後悔していたが、最近そのことを職員に話すと「とんでもない、時々PCのキーボードで遊んでいますよ」と一蹴された。気配を感じないのは僕だけのようだ。

(一部省略)

徳島県 徳島市医師会報 第54号より

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