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令和8年(2026年)10月20日(火) / 南から北から / 日医ニュース

東京―長崎 車窓の旅

 真っ青な空の下で富士山のふもとを走り抜ける新幹線。1964年の東京オリンピックの記録映画にあったシーンを見たくて、いつか東海道新幹線に乗ってみたいと思っていたが、飛行機ばかり利用するのでなかなかその機会を得ることができなかった。
 しかし、今回、剣道大会が藤枝市で開催されるにあたり、飛行機で上京し、そこから念願の東海道新幹線に乗る機会を得た。大会後は東京に戻らず、新幹線を使って博多まで来て一泊し、翌朝長崎に戻ってきた。2泊3日であるが、念願の新幹線を使った東京―長崎間の旅を行うことができた。
 小田原までは都会のビルの中を走る。小田原駅を過ぎるとトンネルの中。「今、天下の険の箱根の山の下を通っている。ここを過ぎると富士山か」と思うと、何の景色も無いトンネルの中であるが、心がワクワクした。
 だが、そこでふと「新幹線に乗っていては富士山のふもとを走る新幹線を見ることができないのでは」と気付いてしまった。「ま、でも車窓から富士山が見えるだけでも」と思い直し、新富士駅に近付く頃には興奮は最高潮に達したが、どこを見ても富士山らしきものが見えない。そう、その日、関東は雹(ひょう)が降り、飛行機も上空で待機させられるほどの悪天候。富士山も山頂は雲の中で、裾野すらよく分からないまま、あっという間に静岡駅まで来てしまった。そこから普通電車に乗り換え藤枝まで行ったが、富士山を見ることは全くできなかった。ショックであった。
 翌日は、藤枝から掛川まで普通電車に乗り、そこから新幹線に乗り換えて博多まで来た。富士山を見ることはかなわなかったが、「越すに越されぬ大井川」「浜名湖」「関ケ原」「京都東寺の五重塔」と東海道の名所を車窓から楽しむことができた。大阪を過ぎるとトンネルばかりである。楽しみは、広島駅の野球場くらいであった。
 二つの新幹線に乗って気付いたが東海道新幹線のホームの看板は下にオレンジ色のライン。山陽新幹線の看板はブルーの帯である。では、西九州新幹線はと看板を見たら何も入っていなかった。次、九州新幹線に乗る時に看板を見てみよう。
 今回、富士山を見ることができなかったことは、「もう一度チャレンジしなさい」との暗示であろう。次は、7時間かけて一気に東京―長崎間を移動してみたい。その話をしたら、友人から「ハワイに行けるよ」と笑われてしまった。

長崎県 長崎県医師会報 第967号より

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