1.たとえウソつきと謗られようとも
25年以上前のある日のことでした。高校生のアツシ君が、学校の階段で足を滑らせて転んで、右目をぶつけたと言って、母親に付き添われて来院しました。奇妙なことに、階段で転んだというのに、右目以外に、どこもぶつけていないと言います。転び方にもよりますが、大抵は転ぶ時に先に手が出て、手をつくので、手にケガをすることが多いと思われます。階段で転んで、目以外に体のどこも何ともないというのは、極めて稀(まれ)と思われました。アツシ君の右目は、かなり強い打撲傷で、その後何度も通院が必要となりました。
次にアツシ君が祖母に付き添われて来院した時には、なぜか学校でバスケットボールをやっていて、右目にボールが当たったと言うのでした。あれれ、初診の時は、確か学校の階段で転んで右目をぶつけたと言ったはずと思いましたし、問診票にも書いてありましたが、そのまま聞いておきました。
摩訶不思議なことに、その次にアツシ君が祖父に付き添われて受診した際には、こちらが聞いてもいないのに、アツシ君自ら、右目は学校でサッカーをしていてボールが当たってケガをしたと言うのでした。なぜ、アツシ君は、自分のケガの原因を、次から次へと、二転三転させなければならないのでしょうか。私は甚だ理解に苦しみましたが、アツシ君に問いただすことはしませんでした。
それから数年の時が流れ、高校を卒業したアツシ君は、眼鏡希望で眼科を受診しました。アツシ君は、あの時の事を、小さな声でボソボソッとこう言ったのです。「先生、本当はオレ、友達とケンカして友達に右目を殴られたんです。ケンカして目をケガさせたってなったら、友達が高校を停学になると思ったんでウソついてました。ケンカしたのはオレも悪いから......」。アツシ君は、目を殴られて激しい痛みをこらえながら、必死で友達を守ることを考えていたのでした。
私の想像ですが、アツシ君が階段で足を滑らせて転んで右目をぶつけたと話したら、周りの人から右目だけぶつけて、他のどこもケガしてないなんておかしいんじゃないと指摘されたのかも知れません。それで、バスケットボールやらサッカーボールがぶつかったことにしたのでしょう。
アツシ君は、友達を守ることを第一に考えて、ウソを重ねたのでした。私は、アツシ君の友達を思う優しさに心打たれて、しばし言葉も出ませんでした。
2.私はエスパー
25年以上前のある日のことでした。いつも冷静沈着な眼科のスタッフのOさんが、慌てた様子で、「先生、トオル君が来てるんですけど、トオル君じゃないんです」と言ってきました。
Oさんの話を聞いてみると、1週間ぐらい前に、ハードコンタクトレンズを作った高校生のトオル君のカルテが出ているので、トオル君の名前を呼んだところ、トオル君ではない別人が返事をするのだそうです。Оさんは、トオル君のことはよく覚えていたので、返事をした別人に、「トオル君じゃないよね?」と尋ねたところ、「いいえ、トオルです」と言い張るのだそうです。もう一度、Оさんに「トオル君」の名前を大きな声で呼んでもらって、診察室に入ってもらいました。眼科のスタッフの誰が見てもトオル君ではない別人が中に入ってきました。
トオル君だと言い張る別人によく話を聞いてみると、もちろんトオル君ではなくて、トオル君の弟だと言います。トオル君の弟も高校生で、兄のトオル君がいない時に、トオル君のハードコンタクトレンズがもの珍しくて、いじくりこんにゃくして、触っていたのだそうです。そうしたら、片方のレンズをはじいてしまい、あっという間にどこかに飛んでいって見つからないとのことでした。トオル君に知られたら怒られるので、知られないうちにトオル君の名前で受け付けして、もう一度同じコンタクトを作ってもらおうと思って来院したと言うのでした。
私は、トオル君の弟に、コンタクトは注文しておくので、レンズを無くしたことを正直にトオル君に話して、明日の午後、トオル君本人が取りにくるように伝えてねと言いました。トオル君の弟は、「はい、分かりました。そうします」と言って帰っていきました。
翌日の午前中のことでした。トオル君が受付に診察券を出そうとするのを見た私は、「トオル君、ごめんね。コンタクト注文したんだけど、まだ届いてないの」と声を掛けました。トオル君の顔がみるみるうちに驚きに変わり、「先生、なんでオレがコンタクト無くしたこと、知ってるんすか?」と聞いてきました。私は、あの時ほど自分のおしゃべりを悔いたことはありません。まさか、トオル君に、「そう、私はエスパーだったのです!」などと言うわけにはいかないのです。ため息をつきそうになりながら、トオル君に診察室に入ってもらいました。
私は、昨日トオル君の弟が来院したことを話して、弟さんを怒らないでね、とトオル君に頼みました。すると、トオル君は、「先生、オレは、そんなことで怒ったりすねえがら、だいじょうぶっス」と言ってくれました。
トオル君は、その後も、「先生、今日はオレ、コンタクト無くしたんでねっス」と言って来院しました。高校生だったトオル君は、某国立大学に進学してからも、帰省する度、「先生、オレ、コンタクト無くしてねっス、目診てもらうっス」と言って元気な顔を見せてくれました。
(一部省略)
福島県 福島県医師会報 第86巻第3号