閉塞(へいそく)した日の中で、ロンドンに留学した頃を思い出す。
ウィンブルドンの、共同の前庭と小さな裏庭の付いた一軒家に住んでいた。家主は金持ちのイラク人で、こんなことを言う。「お前の国とか俺の国には長い歴史と文化がある。英国よりよほど長く立派な文化だ。ましてやアメリカなど、何の歴史も文化もありはしない」。中東は物騒な時代だった。彼はバグダードへ帰る時、自家用機で砂漠に降り、そこから自宅まで車で行くのが安全だと言った。
病院のボスはスリランカ生まれで、本名は発音できない。職員はバスキーというニックネームで呼んだ。私の名も発音しにくいのかヒデボーである。ある日、ソーホーに寿司屋ができたから一緒に来てくれ、食べ方を教えて欲しいと言った。イギリス人はスノビーだがシャイでもある。ゆっくり話すし、日本人であることを尊重してくれる。
寿司屋は「Yo! Sushi」という名である。いわゆる回転寿司で、ロンドンの第1号店だった。バスキーが「ヒデボー、何か頼んでくれ」と言うので、私は店員に日本語で話し掛けた。だが通じない。よく見ると、ねじり鉢巻きの店員は、ビニール手袋を付け酢飯を型に押し込んでいる。東洋人だが日本人ではない。「バスキー、英語で頼めるよ」。バスキーはツナを注文した。「イギリス人は生の魚を食べるんだね」。そう言うと、うまそうに食べていたバスキーの手がぴたりと止まった。何を言い出すんだ、という顔で「これはボイルした魚だよ」と言った。「寿司は生の魚だよ」。そう言うとバスキーは話をしなくなった。以上は、日本の寿司なるものの、海外における体験談である。
ウィンブルドンには日本人経営の寿司屋があった。生魚は貴重なので、小さく握った酢飯に、小さい魚が乗っている。小さくても子ども達は大喜びである。2歳だった長女は、握り寿司の魚(ネタ)を外し、「これあげる」と私の皿に乗せ、酢飯だけをうまそうに食べた。