先日、村上春樹さんの新作を読んだ。そのなかに「ウィズ・ザ・ビートルズ」という一編があった。高校時代の甘酸っぱい、そして不思議な話である。彼の前を通り過ぎた女子が胸に抱えていたレコードは、ビートルズの「ウィズ・ザ・ビートルズ」であった。彼はその彼女と二度と巡り合うことはなかった。ただ幻想化された彼女とレコードジャケットの記憶が鮮明に残った。
私にもビートルズの思い出はある。が、残念ながら甘くも酸っぱくもないものである。幼少の頃、クリスマスの時期、古町の百貨店に連れて行ってもらった時、町に流れていた曲が「レット・イット・ビー」だった。当然それがビートルズの曲だと知る由もなかった。でもその曲はしばらく私の耳に残った。
小学校時代はテレビで流れる当時のアイドルの曲にハマっていた。その頃、日曜午後に「TVジョッキー日曜大行進」という番組をやっていた。番組の内容などはほぼ記憶していないが、合間のCMが印象に残っている。エドウィンのCMで、下着の女性がジーンズをはくシーンであった。そのバックで「シー・ラブズ・ユー」が流れていた。映像もさることながら、やはり「She loves you Yeah Yeah Yeah」の歌い出しに、経験したことのない激しい衝撃を受けた。それからしばらくは、日曜午後のテレビを独占した。
ある日、同級生のS君と一緒にテレビを見ていると、予定どおりCMが始まった。「この曲すごいよね」といった感じで彼に話し掛けた。彼は「これビートルズっていうグループの曲だよ」と教えてくれた。彼はお姉さんの影響で既に多少の外国の曲を聴くようになっていた。「レコード持っている?」と聞くが「無い」とのことであった。ちょうどその頃まだ使っていないお年玉が結構あったのだと思う。私はすぐにレコード店に行き「ビートルズ」のレコードを希望した。私としては「シー・ラブズ・ユー」が聴ければ良かった。しかし、その時薦められたのが、通称「赤盤」という2枚組のアルバムであった。
私の家には父のポータブルステレオがあった。私は「シー・ラブズ・ユー」だけ聴きたかったのだが、CDと違って途中からうまく再生するなどという技はなく、A面一曲目から聴くことになった。私は慎重に針を置いた。「ラブ・ミー・ドゥ」。衝撃的であった。更に「プリーズ・プリーズ・ミー」「フロム・ミー・トゥ・ユー」と来た。全てが初体験で、激しい興奮を覚えた。そして「シー・ラブズ・ユー」であった。もうこの日から私にとって、洋楽、いや音楽=ビートルズになった。
S君は毎日のようにわが家に来た。そして、I君も。I君にもお姉さんがいた影響で洋楽を少しかじりかけていた。彼の人生はこの日に変わった。
更にI君がビートルズの後期の名曲を集めた青盤もあることを教えてくれた。私はお年玉の他の用途などお構いなく青盤を購入した。一曲目「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」は赤盤の曲とは明らかに違った。そこから続く全ての曲に心が躍った。青盤の2枚目B面、「ヒア・カムズ・ザ・サン」から「オクトパス・ガーデン」まで言葉も忘れて聴いた。そして一瞬の静寂の後、あの曲が始まる。私が幼少期に古町で聴いたあの曲であった。私のビートルズの原点にここで出会うことになった。
私達3人はその後、各々でレコードを買って貸し合った。カセットテープが机の上に増えていった。自身で編集したオリジナルアルバムを作成した。その後FMで他のミュージシャンの音楽もチェックするようになり、大学に入った頃にはビートルズはほとんど聴くことはなく、全盛期のMTVで流れるポップな洋楽を見るようになっていた。机の上に散らかっていたカセットテープは消え、CDそしてMDと変わった。仕事が忙しくなると音楽を聴く時間も忘れた。
数年前I君と再会した。I君はプロではないが、ミュージシャンとして東京や長岡でライブをこなしていた。バーで飲んでいると、彼の音楽人生を変えたのが、わが家で聴いたビートルズだったと知った。私は久しぶりにビートルズを聴きたくなりCDを買いあさった。懐かしい曲を一曲ずつ嚙み締めた。しかし、レコードで聴いた時ほどの感動が無かった。針を置く煩わしさ、時に針が飛ぶこともCDではないが、何か物足りない感じだった。
最近アナログブームでレコードが復刻していると聞いた。衝動買いをすると家内から白い目で見られそうだが、今その日をひそかな楽しみにしている。
(一部省略)
新潟県 長岡市医師会たより NO.487より