私は福島県の浪江町に生まれ、小学生の時に富岡町夜ノ森に転居しました。大学進学のために仙台に来るまで、そこで生活をしていました。
先日、解体業者と環境省の職員との話し合いのため、数年ぶりに帰宅困難区域となっている現地を訪れました。話し合いに訪れた彼らは東北の人ではないようでした。被災の件をねぎらって頂きましたが、声は上ずり、かなり緊張している様子でした。恐らくこのような立ち合いの場でいろいろなひどいことも言われてきたのでしょう。私が「話を進めてください」と促すと、ほっとしているようでした。ほぼほぼ更地になり、どこまでも砕石(さいせき)が敷かれているそこは木々もなく"帰宅困難"から"帰宅不能"になっていました。話し合いは事務的に進み無事に終わり、あいさつをもって現地解散となりました。
自然が失われるのは悲しいと感じました。変わらない風景が見たくなって中学時代よく釣りに行っていた川へ車を走らせました。私は偏屈なので人との思い出があまりなく、少年の頃は釣りをしたり山菜を採ったり、自然の中でただ過ごしたりしていました。
車を走らせましたが変わらない風景に出会うことはありません。どこまで走らせても川はコンクリートに固められて死んでいました。上流手前の小道に車を止めて河原まで歩いていき、座布団ぐらいの大きさの岩の上に座り込んで川を眺めてみました。せせらぎが聞こえています。私が昔に経験した美しい川は、両側に木々が重なり合うように立ち並び、枝や葉の隙間から光が強く差し込むこともあれば、木漏れ日のように揺らいだりして川の表情を変えているような、そのような生き物でした。日の当たる葉はいっそう青く、日陰は命を守るためのような優しさを感じさせていました。
とろから深みに掛けて少しずつコバルトブルーに清流が沈んでいきます。とても静かです。餌は川虫、野鳥の羽毛を羽印として上流から仕掛けを流せば、ある瞬間に命との交信が体に響くのです。合わせれば跳ね上がる輝かしい魚体。宝石色を身にまとったヤマメです。黒から灰色にグラデーションの掛かった斑点状の模様がこんなにもバランス良く配置され、数学的にも見えるのはなぜだろうとじっと見ていたのを覚えています。美しいものでした。
今、目の前の川には魚の気配はありません。雨の匂いがし始めたので車に戻りました。車を走らせているうちに本降りです。人の姿の見えない長い農道は刈り取られない草に覆われ、更に雨に打たれて草いきれが強くなっています。むせるような息苦しさだったのでカーラジオを切りました。雨音だけだと静かなものです。
少しずつ気持ちが落ち着いていくのが分かりました。走らせていくと巨大なソーラーパネルがいくつもいくつも並んでいる場所に出ました。パネルはみな同じ方向を向いて無機質に並んでいます。こんな人のいない所で誰が使う電気なのだろうと不思議に思いました。
誰にも会わない時間が長い日のことでした。これは誰かに伝えたくて文章にしたものです。書いたり話したりする言葉によってよみがえることがあるということを体験しました。渓流で釣りをしなくなって40年あまりになります。しかし、自分にとっての「そこ」は今でも失われずにいます。
この文章を書いていると、興味を持った妻と娘に添削されました。書き直していくと私の思いを察してくれたような文章になりました。ありがたいものです。
私の今の営みは「ここ」なのだと思いました。