何年か前の11月に京都を訪問した時のことです。
友人の紹介で初めて食事に行った割烹料理屋で、板前さんが「『名残(なごり)』の丹波の松茸でございます。もう今日で最後です。お客様は運よく間に合いました」と言って、大きな松茸の入った土瓶蒸しを出してくれました。その後、橋立(はしだて)から今日届いたという『走り』のズワイガニを頂いた後、『旬』の平目と本鮪のお造りを頂きました。最後は松茸の炊き込みご飯であったと記憶しています。
私はこの時初めて、和食の素敵な組み合わせの妙と奥深さを知りました。もちろんフレンチでも、今頃になると「そろそろジビエの季節ですね」と知り合いのシェフからお誘いを受けることもありますので、同じように素材を組み合わせて我々を楽しませてくれているのです。
「旬」は人や芸術にも当てはまります。スペインを旅した時に、グラナダで鑑賞したフラメンコに感動しました。定員が100人程の小劇場で3人の踊り子さんが出演しました。まだあどけなさが残る若手ダンサー、今が盛りのダンサー、そして年齢不詳の円熟したダンサー。飛び散る汗と力強いステップ、カスタネットの音から旅行者向けのショーなどではない本気が伝わってきて、終演後は「ブラボー」の声が鳴り止みませんでした。正に「走り」、「旬」、そして「名残」のベストマッチングが生んだ感動でした。
さて、医師の旬は60歳からと言う先輩がいらっしゃいました。確かに開業医の平均年齢はそれくらいでしょう。しかし、私は60代後半を迎え、明らかに「旬」を過ぎた「名残」の人生を、「松茸の炊き込みご飯」のように味わい深いものにできるのでしょうか? 山粧(やまよそ)う季節に。
(がんこ親父)