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平成30年(2018年)5月20日(日) / 日医ニュース

尊厳ある終末期を迎えるために―医療と宗教の関わり―

尊厳ある終末期を迎えるために―医療と宗教の関わり―

尊厳ある終末期を迎えるために―医療と宗教の関わり―

 超高齢社会となり、終末期医療への関心も高まる中、今号では、3月16日に横倉義武会長が森川宏映第257世天台座主(ざす)を比叡山延暦寺に訪ね、「終末期医療と宗教の関わり」等について対談した模様を紹介する。

 横倉 座主猊下(げいか)、本日は貴重な機会を与えて頂き、ありがとうございます。本日は座主猊下のお話が伺えるということでとても楽しみにして参りました。
 今回の対談は、今年の1月に不慮の事故で亡くなられた猪飼剛前滋賀県医師会長のご尽力により実現することができました。ご本人もこの対談を楽しみにしていましたので、この場に同席されていないことを残念に思います。
 森川 こちらこそ、遠いところまでいらして頂きありがとうございます。
 猪飼前滋賀県医会長より、ぜひ、横倉会長と対談して欲しいと懇願されましたのでお引き受けしました。猪飼前滋賀県医会長のことは私も本当に残念に思います。
 横倉 本日は、「終末期医療の問題」や「世界規模での連帯」などについて、お話をさせて頂きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

医療における宗教者の役割

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 横倉 まず、終末期医療についてです。
 日本は2007年に、総人口に占める65歳以上の割合が21%を超え、超高齢社会になりました。その後も世界で類を見ないスピードで高齢化が進んでおり、25年には年間死亡者数が150万人を超え、多死社会を迎えるという推計もあります。
 そうした中、日医でも終末期医療のあり方について、死生観も踏まえながら議論する必要があると考え、会内の生命倫理懇談会において、医療関係者に加えて宗教者や法曹関係者らも交え、「超高齢社会と終末期医療」に関する検討をして頂き、昨年11月に答申を取りまとめてもらいました。
 森川 終末期医療のあり方は国民の関心も高く、生死の現場に立ち会うことの多い宗教者にとっても関わりのある世界です。
 医学は何とかして患者さんの延命を図ろうと発展してきました。ところが、終末期においては延命を望まず、尊厳をもって安らかに逝きたいと思っている方もいるわけです。宗教者はそうした人達にも寄り添ってきました。
 「医療」と「宗教」、仕事の内容は異なりますが、常に弱者の側に立つことを心掛けるという点では共通点も多く、協力できることは多いのではないでしょうか。
 横倉 そのとおりだと思います。今回の答申では、自身が望む終末期の医療やケアについて、あらかじめ家族や医療関係者、宗教者など自分の信頼できる人も交えて話し合いを重ねる「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」の重要性が指摘されています。終末期を迎えた方の意向を最優先して医療やケアを進めていくというものです。
 このような取り組みは地域包括ケアシステムの中で考える必要があり、その中核となる「かかりつけ医」の役割がますます重要になると考えています。
 そのため、医師にも終末期医療に対する意識をより高めてもらえるよう、日医が実施している研修制度の中に「ACPの意義」や「リビングウィル」の話などを盛り込み、環境整備を進めています。
 また、ACPに関するパンフレット(上掲)も作成し、日医のホームページで公開する等、その周知を図っています。
180520a3.jpg 森川 実は私の弟も息子も医師なのですが、日頃お世話になっている「かかりつけ医」もおります。
 その方に診て頂いているので、私は安心してわが道を進むことができるというわけで、私も「かかりつけ医」の役割は大変重要であると考えています。
 「かかりつけ医」が日常の中で、患者さん達の苦しさや悲しさに寄り添っているように、宗教者も医療やケアの現場でお手伝いできることがあるように思います。
 横倉 まさにおっしゃるとおりで、「臨床宗教師」と呼ばれる方達が、医療・福祉機関の専門職とチームを組んで医療機関や被災地などで活躍されるなど、「スピリチュアル・ケア」や「宗教的ケア」の力に注目が集まっていることに今回の答申でも触れられています。
 「臨床宗教師」は東日本大震災をきっかけにつくられたものですが、家族を突然失った遺族に寄り添うことで支えとなり、大きな役割を果たしたと聞いています。
 また、緩和ケアにおいても、これまでは身体的な苦痛をいかにして和らげるかが議論の中心となっていましたが、人々の悲しみに寄り添い、生きる力を育む宗教者の役割は重要性を増していくものと考えています。
 森川 宗教との関わりで言えば、私が今、若干気掛かりなことは、お葬式というものがあまりにも簡易なものになり過ぎていることです。
 ご近所の方も呼ばず、家族だけで、しかもお経もあげることなく葬儀を終えている方もいると聞いています。
 お経を唱えることで死者は安らかに往生し、残された方もそれにより得心される。私どもはそのように考えておりますので、この流れを何とかしていきたいと思っています。
 横倉 私の父は3年前に97歳で亡くなったのですが、宗教心が厚い人で、亡くなる2日前にはお寺の住職さんに来て頂いて、お経を唱えて頂きました。
 そのことで、本人も、また残された者も心穏やかに最期が迎えられたと思っていますので、座主猊下のお考えには賛同いたします。

宗祖伝教大師(でんぎょうだいし)の教えとの共通点

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 横倉 今日は私自身も一人の医師として、天台宗の「助け合い」や「思いやりの精神」を座主猊下から学んで帰りたいと思っているのですが、延暦寺では今年一年の心構えを示す「比叡山から発信する言葉」として、「憶和敬(おくわけい)」という言葉を選ばれたそうですね。
 森川 「憶和敬」とは「相手を敬って思いやる心こそ大事である」という意味です。
 宗祖伝教大師(最澄)は「己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」という言葉を残していますが、「憶和敬」はまさに伝教大師のお考えそのものを表した言葉です。
 天台宗は、悲しみに打ちひしがれている人々に絶えず慈悲の手を差し伸べており、宗教者ならではの視点で、人生を締めくくろうとしている人達にも寄り添うことができると考えています。
 横倉 天台宗の基幹運動である「一隅(いちぐう)を照らす運動」も、終末期医療における患者のケアという点で、実に多くのヒントを与えてくれると思うのですが、いかがでしょうか。
 森川 この運動は「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という伝教大師の精神を現代に生かすために生まれました。一隅とは、今あなたがいるその場所のことです。
 この運動はあなたがあなたの置かれている場所や立場でベストを尽くし、助け合うことで、皆が共に輝くことを目的としています。
 終末期医療に直面している患者さんや、そのご家族は大変つらい立場におられますが、互いに尊重しながら「共生」すること、自分はどうあるべきかを見つめ直すことで、残された時間を心豊かに生きていくことができると考えています。
 横倉 御寺では、世界の宗教者の方々が集まり、「比叡山宗教サミット」を毎年開催しているそうですが、その趣旨について教えて頂けますか。
 森川 宗教には本来、「止悪作善」を促し、神仏の恩寵(おんちょう)により人々の心に平安をもたらす働きがあります。ところが、現実はさまざまな欲によって互いを疑い、争っています。宗教者が、この憎悪の連鎖を断ち切るために何ができるかを宗派や国家という枠を超え、互いに話し合えば理解できるという思いから始めたものです。
 昨年はサミットを始めてから30周年ということで、その成果を「比叡山メッセージ2017」として取りまとめました。そこでは核兵器の廃絶や、国連が掲げる「持続可能な開発目標」(SDGs)を支持することにも触れています。
 横倉 世界では今でもさまざまな紛争が起き、医療機関が爆撃されるようなことも起きていますが、その原因が宗教間の対立のことも多くあります。宗派の枠を超え、話し合うというこの試みは大変素晴らしいものであると思います。
 また、SDGsの話も出ましたが、私自身も世界医師会長として、SDGsの「誰一人取り残さない」という理念に賛同し、そのターゲットの一つであるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の達成に向けて、国連や世界保健機関(WHO)を含む国際機関との情報共有に基づいた連携・協力の一層の促進を図っているところです。
 また、昨年5月には、核戦争防止国際医師会議日本支部代表支部長に就任し、国民の健康を預かる立場から核戦争の防止を強く主張しています。
 今日の対談で座主猊下にお話頂いたことが、私達の目指していることと多くの点で重なっていることが分かり、心強く感じました。

死を恐れ過ぎない―人は誰でも成仏できる

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 横倉 ところで、座主猊下の比叡山中学校・高等学校の校長時代の教え子で、滋賀医科大学で倫理学を専攻されている医師がいるとお聞きしましたが。
 森川 比叡山学校の校長時代に朝礼訓話を16年間行っていましたが、毎回その最後に、伝教大師が説いた「理想の人間像」を目指しなさいと話していました。
 その時の教え子が滋賀医科大学で現在、医学倫理を担当しており、「医師はどうあるべきか」という問いについて、私の朝礼訓話を引用しているそうで、非常に参考になると言ってくれているようです。
 単に、病気を治すだけではなく、心のケアをすることで、側面から世の中を良くする、人間として正しく生きるということを、医師を目指す学生さん達が学ぶことで、伝教大師の教えが医療界にも広がっていることは大変うれしく思っています。
 横倉 まさに、このことは医療現場に今、欠けている部分のような気がします。
 医療は人が人に対して行う行為であり、それ故に、人を思いやる気持ちが大変重要になります。
 若いうちはどうしても医療の技術を身に付けることに偏りがちですが、こうした人を思いやるという気持ちを医学教育の中で身に付け、患者さんやその家族の悩みや苦しみから、人生観や死生観を共に考え、解決に向かうことも超高齢社会における医療においては、今後大事な要素になってくると考えています。
 最後になりますが、日々地域医療に取り組む日医会員の先生方やこの記事を読まれている国民の皆さんに向けて、座主猊下から一言お願いできますでしょうか。
 森川 先日、息子さんを早くに亡くした方から、「息子に会えるのであれば死ぬことは怖くない」と言われたことがありますが、多くの人はやはり死を恐ろしいと考えておられます。その不安を少しでも和らげるために、医師の皆さんにはぜひ、患者さんの心にまで寄り添う医療を行っていって欲しいと思います。
 また、国民の皆さんにはぜひ、死を恐れ過ぎることはないということをご理解頂きたい。
 天台宗には、「草木国土悉皆成仏(くさきこくどしっかいじょうぶつ)」と言って、「例え草木や国土のような心識をもたないものでも、全て仏性を有し、ことごとく仏となりうる」という教えがあります。「草木でさえ成仏できるわけですから、まして人が成仏できないことはない」ということを、我々がもっと国民と関わり、繰り返し説いていくことも今後取り組んでいかなければならないと思います。
 横倉 御寺では既に僧侶の方が医療機関を訪問するような取り組みもして頂いていますが、そのことにより患者さんにより良い効果が出ているという話も聞いており、ぜひ引き続きお願いしたいと思います。
 死についてはあまり考えたくないことではありますが、誰も避けては通れない問題です。我々としても、国民の皆さんに尊厳ある最期を迎えてもらうため、健康な時から最期をどのように迎えたいか家族や「かかりつけ医」と一緒に考え、その結果を「事前指示書」などに残してもらえるよう、引き続き呼び掛けていきたいと思います。
 また、日本は超高齢社会となり、今後は在宅でお亡くなりになる方もますます増えてくることが考えられますので、会員の先生方にも終末期医療に積極的に関わってもらえるよう、努めて参ります。本日はありがとうございました。
 森川 こちらこそありがとうございました。

森川宏映(もりかわこうえい)第257世天台座主
 大正14年10月22日生まれ。比叡山の山林保護を志し、京都大学農学部に入学。卒業後は営繕部を中心に歩まれ、昭和39年に延暦寺営繕部長に就任。その後は、比叡山高等学校長、延暦寺学園長などを歴任。平成27年12月14日から、天台宗総本山延暦寺の住職として宗祖伝教大師からの法脈を相承し、天台宗徒及び檀信徒の敬仰する天台宗の信仰の象徴的存在である天台座主に就任している。

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