「三丁目の夕日」という40年以上続く漫画がある。先月、古本屋で初刊から大人買いして読破した。時代設定は、終戦直後から昭和40年前半か。東京タワーの建設からは自らの成長と重なり、ウルウルしながら読み進むも、ふと気が付いた。
この物語の中では子どもも老人も、ちょっとしたケガや病気で実にあっけなく亡くなる。しかし、救急車や大病院の登場はほとんどなく、パタパタスクーターに乗った「タクマ先生」が往診に駆け回り、「うーん、よく分からないが、取りあえず注射を打ちましょう」で終わり。「中風」で倒れたお年寄りは布団に寝て、排泄の度に「お~い、〇子さん」とお嫁さんを呼ぶ。おまるや尿瓶(しびん)が当たり前に登場し、それを孫が片付ける。まさに家族総出の介護である。でも、あまり長くは続かないらしい。
今、在宅医療の必要性が問われる中で、この時代と同じ介護を踏襲しろと言う有識者はいない。ただ診療の中で、世代ごとに介護のイメージが異なることに気付く。お年寄りや幼子と暮らしたことのない世代に、そもそも「誰かの世話をする」具体的なイメージがない。でも親の世代は密(ひそ)かに、古い時代の家庭内介護の甘い情景を内包している。私達医療者はその狭間(はざま)に立ち、現代に適した在宅医療と介護のあり方を受診者と家族に説明して、共有できるイメージを作り上げる役目も課されている。
医学生の頃、パタパタスクーターで往診するお医者さんは私の憧れだった。でも私には、二輪の免許がない。だからハンドルにしがみついて車を転がす。運転免許返上まで、そうして頑張ろう。その後は、近いところをテコテコ歩き、誰かの支えになって最後まで役目を果たしたいと願うが......さてさて、どうなることやら?
(美)