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平成30年(2018年)3月5日(月) / 南から北から / 日医ニュース

ポケベル

 昭和62年3月に大学を卒業し、4月から内科研修医となった。第1内科(消化器、循環器)、第2内科(呼吸器、循環器、内分泌、腎臓)、第3内科(神経)、原爆放射線医科学研究所内科(血液)の4科を2年でローテーションし、その後に希望の科に入局するという、今の研修医制度の先駆けとなるカリキュラムであった。
 学生時代にポリクリはあったが、当時は見学だけのポリクリであった。研修医となり、初めて患者さんに接することになった。本で勉強したことを、実際に経験することで、たくさんのことを学んだ。採血、点滴のやり方、カルテの記載や患者さんへの説明の仕方など、教科書には書いていないことも、指導医の先生に教えて頂いた。
 当時は携帯電話はなく、病棟との連絡はポケットベル(ポケベル)であった。院内、院外に関係なく、ポケベルで呼ばれた。医者になりたてで、急患で呼ばれる医師像にあこがれていたこともあり、ポケベルで呼ばれることにワクワクする気持ちであった。出掛けた先でポケベルが鳴ったりすると、仕事をしている感が高まったものである。
 ただ、車の運転中に鳴ったりすると、一生懸命公衆電話を探したものである。また、乾電池式で、呼ばれ過ぎると電池はすぐに無くなった。
 当時のポケベルは、メッセージ機能はなく、呼び出し音のみのシンプルなものであった。ポケベルが鳴っても、どこから鳴らしたのか分からないので、原則は病棟の詰め所からコールすることになっていた。ただ、慣れてくると、彼女との連絡には、ポケベルを2回続けて鳴らしてもらった。そんな工夫もしていた。
 それでも、ポケベルがあるだけで、どこにでも出掛けることができた。我々よりも数年前の先輩たちの時代には、ポケベルもなく、重症な患者さんがいると、どこに行くにも行き先を病棟に伝えて、出先から病棟に患者さんの容体に変わりないか、時々電話しなければならなかったという。
 また、困った時の指導医の先生との連絡もポケベルであった。急いで連絡を取りたい時に、なかなかコールバックがないと焦ったりしたものであった。
 今は携帯電話、スマートフォンと、いつでもどこでも電話もメールもネットもできる。スマートフォンがあれば、医学的な内容もすぐに調べることができる。分厚い本を持ち歩く必要もない。便利な時代になったものである。最近は、飛行機に乗っていてもメールのやりとりができるようになった。
 若い研修医の頃と違い、病棟から呼ばれることも少なくなったが、ポケベルのピーピーピーという甲高い音に、びっくりして呼ばれていた研修医の頃が懐かしい。

(一部省略)

広島県 広島市医師会だより No.612より

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