有料老人ホームで暮らす身寄りのないお年寄り、Tさんの部屋をある日訪ねると、所狭しと段ボール箱が積み上がっていた。
「自宅を処分しようと思いまして、コレクションを全部こちらに持ってきてしまいました」とTさん。中には、若い頃から集めていたという膨大な量の切手コレクションがあった。それも単純な単片コレクションではなく、初日カバーとエンタイア(封筒やはがきに貼られた状態のもの)が大量である。
切手ブーム全盛の1960年以降の記念切手の単片は、ほとんど価値の無いものとなっているが、この二つは無敵である。我々の世代は、猫も杓子も小学生の頃、切手収集にいそしんだものである。その頃は、消印を押してしまうと価値が下がると言われ、そのほとんどが未使用のまま死蔵されている。
そのために現在では、当時に使用された消印付の記念切手がほとんど残されておらず、皮肉なことに未使用のものよりも価値が上がってしまっている。
多くの人達は、成長とともに収集をやめており、当時集められた収集品は、文字通りの「死蔵」状態にあるか、いつの間にやら可燃ゴミと化していることもしばしばである。
ただ、私の場合は生来のコレクション魂が災いしたのか、少し状況が違っている。高校卒業の頃まで収集を続けたのみならず、その後も母親(私のコレクション癖は彼女から受け継いだものに違いない)が記念切手の購入を続け、1991年まではコンプリートの状態で手元に残っていた。時々、流行病のように復活する情熱とともに、少しずつ買い足しながら、「私も収集家の端くれです」と言っても恥ずかしくない程度のコレクションはそろっていたのだ。
そんなわけで、月に2回Tさんを訪ねる度に、切手談議に花を咲かせるようになった。Tさんのコレクションは、それはたいしたものであり、戦前の記念切手は昭和立太子礼の10銭(日本の記念切手史上最高価値のもの)を除いてほぼコンプリート、戦後の切手は普通切手まで含めた初日カバー(発行日に押印されたもので、記念切手はともかく普通切手はかなり珍しい)の状態で、大量にお持ちであった。
立太子礼に次ぐ記念切手の逸品、試験飛行は、見たこともないような美品で、ため息が出るほどのものであった。
そんなTさんでも最近の情勢はあまりご存知ないようで、「この切手は今どのくらいの価値があるのですか?」などと私に尋ね、評価額を教えてあげると満足そうにうなずいておられた。
そんなことが続くうちに、私のコレクション魂に再び火がついてしまった。インターネットという便利なものが普及している現代では、クリニックに居ながらにして世界中のカタログを眺め、注文することができる。少なくとも中断したコレクションのブランクを埋めようと、平成以降の記念切手を注文しているのだが、驚くなかれ、この25年間に発売された日本切手の種類は、明治4年以来それまでに発行された種類の3倍にも上るのだ。
近年では年間に500種類が発行されており、82円切手を一枚ずつ購入しても年間4万円という、小学生の小遣いでは手の届く趣味ではなくなっているが、中高年に差し掛かっている私にとっては、手頃なセカンドホビー(メインホビーは昆虫標本収集である)であり、嬉々として毎週のように切手商に注文メールを送るようになった。
年が明けたある日のこと、Tさんの部屋を訪れると、山積みになっていた段ボールがすっかり片付いていた。
「業者が値段をつけてくれたので売ることにしました。150万くらいになったんですよ」
嬉しそうに、半ば寂しそうに笑うTさんであったが、あのコレクションの見事さから言って、少し買いたたかれた感は否めない。それでも、これからもTさんとは切手談議を交えながら、主治医と患者の関係をつくっていくことは間違いなく、今日もネットでカタログを眺めながら、以前よりもはるかに入手しやすくなった海外切手への進出をもくろむ私なのであった。