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平成29年(2017年)8月5日(土) / 南から北から / 日医ニュース

救急車の適正利用~大判焼きを買いたかっただけ~

 県職員として保健所に勤務して、あっという間に15年目を迎えた。病院勤務医を辞める時に、もう救急車に乗る機会は、自分や家族が患者になった時以外は無いだろうなあ、そして、搬送されてくる患者をドキドキしながら病院で待つこともこれからはなくなるのだなあ、としみじみ思った。
 産婦人科に勤務していた頃は、時々新潟市内の病院へ重症合併症の妊婦さんや、低出生体重児と一緒に救急車に乗る機会があった。切迫早産でお産になりそうな妊婦さん、分娩後に子癇(しかん)発作を起こして意識不明になった産婦さん、早産で生まれてしまい人工呼吸器につながれた未熟児などを搬送した。
 サイレンを鳴らしながら救急車を走らせても、一般車両はなかなか道を譲ってはくれない。高速道路がまだ村上まで開通していない時は、新潟までがとても遠く感じられた。その時のことを思い出すと、今でも緊張感と恐怖感がよみがえってくる。問に合わなかったらどうしよう、もう駄目なんじゃないか? 助からないのでは? と考えると、背中に冷たい汗が流れた。
 病院からの救急搬送は昼夜、深夜関係なく、必要とあれば出動しなければならない。
 ある時、切迫早産で陣痛が始まってしまい、NICUのある新潟市内の病院への母体救急搬送があった。平日の外来を中断し、お昼前に出発して、救急車には妊婦さんの夫も同乗してもらった。車の中でもし生まれてしまったら、その場で新生児に挿管しなければ救命できないような低体重児が予想された。
 ようやく目的の病院に到着し、すぐに分娩室に入り、産婦人科医と小児科医に立ち会ってもらい、出産となった。その時は、入院から分娩まで1時間くらいだったので、救急車と隊員に待っていてもらうことができた。でないと帰りは一人で電車を使って村上まで帰ることになる。
 ほっとして戻った救急車は、もちろんサイレンは鳴らさないで、ゆっくりと村上に向かう。ふと我に返ると、お昼時はとっくに過ぎており、お腹はぺこぺこである。疲労感がどっと押し寄せてきて、ああ何か食べたい。そう言えば、この先の岩船においしい大判焼きのお店があったはずと思い出し、突然「運転手さん、大判焼きを買って食べたい」と救急隊に告げた私。「何を言っているんですか、救急車が大判焼きの店の前に止まるわけにはいかないでしょう!」とのご返事。
 「エー、だってサイレンも鳴らしていないし......」残念無念。
 もちろん大判焼きを買うことはできなかったが、翌日産婦人科外来に大量の大判焼きが届けられた。ありがとうございました。

新潟県 村上市岩船郡医師会だより 第97号より

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