ワインを飲むようになったのは、86年に結婚し新婚旅行で飲んだワインがきっかけだった。フランスの「ラ・セーヌ」というレストランで、せっかくだからワインでも頼もうということになり、66年産のシャトー・パルメを注文した。
注文を受けた老人のソムリエが低い声で「good」とつぶやいたのが印象的だったが、その意味はワインを開けた時に分かった。高名なワイン評論家の表現を借りると、このワインは61年以降でも最高のワインの一つで、「プラムやブラックベリーのような果実の香りや、エキゾチックなスパイス、甘草、それにトリュフのような香りがほのかに立つ。ミディアムボディでビロードのような豊かさとなめらかさを持ち、フィニッシュは長く、熟した、みずみずしい味わい」だそうだ。「え、ワインてこんなにおいしいんだ!」と感じた衝撃の瞬間だった。
日本へ帰ってからは、いいワインが飲みたくて東京の有名レストランに通うことにした。最終的に通い続けたのは日比谷の、常時レストラン内に5千本、別のセラーには3万本のストックがあるというレストランである。幸いにも祭日営業をしていたので、ランチを食べていいワインを飲んで帰ってくるというのが祭日の日課となった。
ここではいいワインに出会った。83・85年のルソーのシャンベルタンやデュジャックのクロ・ド・ラ・ロッシュ、83年のル・パン、28年のコス・デステュルネルなどが思い出深いワインだ。この後は自分でもワインが調達できるようになり、55年のラトゥールやペトリュス、59年のラフィット、66年のラ・ミッション・オー・ブリオン、78・79年のラ・ターシュ、85年のリシュブール、92・93年のクロ・パラントゥなどが、いい時代の思い出である。
最近はイタリアを始め各国のワインが話題になるが、もう年のためか新しいことが覚えられないのでフランスワインで通している。フランスワインはやはり古酒がおいしい。若いブルゴーニュの赤ワインは酸が強く色が薄いため、薄いワインに感じられる。けれど古酒を飲むと、幾層にも重なった複雑で力強い香りが頭の上まで広がっていくのを感じる。この香りに強い果実味と酸が加わるため、血の香りの強いジビエ(真鴨、ハト、雉(きじ)、もし手に入ればベカスが最高!)との相性は抜群で、ブルゴーニュの古酒は至福の時間が得られるワインの王様である。
ボルドーは若いうちはタンニンが強くて飲みにくい印象がある。けれどメドックといわれる地区の一級のワインの古酒は、抜栓してからワインが正体を現すまで少し時間が必要だが、現れたワインは非常に滑らかで神々しいまでの華やかさがある。特にラフィットは貴婦人を思い起こさせるほどの華やかさがあり、まさにワインの女王である。ただ、ボルドーが長くイギリス領であったためか、ボルドーワインは料理との相性を気にしない孤高のワインで、秋の夜長にじっくりと飲むのが一番ではないかと思う。
還暦になったので、古酒を目指す高級ワインは、ボルドーは2005年まで、ブルゴーニュは2010年までで買い納めにすることにした。けれど2005年のボルドーが古酒になるまで、自分の寿命は持たない気がする。ちなみに、88年と99年のブルゴーニュと89年のボルドーは100年持ちそうなので、死ぬ前に飲むワインと決めて保存している。
(一部省略)
群馬県 群馬県医師会報 No.808より