動いていなければ倒れてしまうようでは不完全な乗り物だ、と車好きの先輩に言われた。そうかも知れないが、私は二輪車が好きだ。学生時代はいわゆるバイク好きでKawasaki Z400GPにサンセイレーシングの集合マフラーを付けて、週末には峠へ、ツーリングへ繰り出した。
外科医になって、睡眠もままならない修行時代。やがて家庭を持つようになり、気が付くとすっかり中年になってしまった。50歳になったら、もう年だから、という理由でチャレンジしなくなる気がして、46歳にしてロードバイク(昔、ロードレーサーとも呼ばれた自転車)を初めて手にした。
ロードバイクにもフレーム素材がいろいろあるが、やっぱり細い真っすぐなパイプで組まれたクロモリロードが美しいと思う。1台目はビアンキのクロモリロードに決めた。
どこまでも遠くへ軽快に走り続けられる、と思っていたが松本は信州の山に囲まれている。どこへ行くにも峠を越えなければならず、坂が上れなければ軽快なサイクリングは楽しめない。美鈴湖まで上る「林道湯の原線」がマイ坂となり、週末の早朝には何度も通って練習した。
ロードバイクを手にして9カ月目に松本から白馬まで往復160キロメートルを走るイベントを完走し、大勢の人と同じゴールを目指す楽しさに目覚めた。その頃には美鈴湖から美ヶ原まで上ることが練習の中心となり、気が付くと上り坂が好きになっていた。坂バカの芽生えである。
そしてロードバイクを始めて1年目にマウンテンサイクリングin乗鞍を無事完走した。4500人のサイクリストが乗鞍の頂上を目指し、その中に自分がいる、抜いたり抜かれたりしながら。ゴールできた喜びはひとしおだった。
ここでロードバイクは美しい乗り物から、坂を駆け上がるツールとなった。レースを意識した機材となれば素材はカーボンになる。お値段は上を見ればきりがなく、家庭人として許容できる範囲で2台目として選んだフレームがLook586だった。トップチューブが細めでクロモリ好きでも違和感がなく格好良い。翌シーズンの蔵王、栂池、美ヶ原、乗鞍などヒルクライム大会(自転車で山を上る大会)にエントリーし、冬はローラートレーニングに汗を流した。
そして迎えた2年目のシーズン。時間を見つけて山へ向かった。家から10分で湯の原線入り口、すぐに山の香りに包まれる。胸いっぱいに美ヶ原の空気を吸い、鳥の声を聞きながら黙々とペダルを回し続ける。と、ある瞬間、Lookの存在感がなくなり、体の一部になったように感じることがある。体だけで信州の山に飛び込んでいる感覚、至福の時である。
少しずつ記録が良くなり、トレーニングの成果が感じられた。この歳になって成長することはほとんどないので純粋にうれしく、仲間や大会で出会う人との交流も最高。ヒルクライムは自分にピッタリのスポーツだと思っていた。
更に上を目指した3年目のシーズンは、春先に思いも寄らない不調が見つかり、心底残念だがヒルクライム大会は当面見合わせることに決めた。早くも坂バカ引退か。とは言え、仲間とのロングライドを楽しみつつ、いつの日か、人に迷惑を掛けない自信がついたら大会復帰を目論んでいる。
かつてZ400GPは顔が写るほどピカピカに磨いて写真を撮ったり眺めたり。走ることはもとよりマシンとしての外観にワクワクした記憶がある。一方Lookである。大会前にはきちんとメンテナンスし、走った後には汚れを落としてキズの有無をチェックする。スマートで格好良い乗り物だと思うが、磨いて写真を撮ろうとは思わない。歳くったからか、やっぱりスポーツだからなのか。一体となって走った情景が、その時包まれた空気が、そしてたくさんの出会いが、私を惹きつけてやまない。
(一部省略)
長野県 長野医報 第635号より