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平成29年(2017年)1月5日(木) / 南から北から / 日医ニュース

つけぎ

 戦後まもなくの頃は、冠婚葬祭の時に頂いたごちそうや、家庭でつくったごちそう、あるいはお菓子などを近くの親戚や隣近所にお裾分けをする風習があった。あの頃は、食べ物が貧しいのにもかかわらずお互いに喜びを分かち合うという、純粋な思いで隣近所付き合いがあったように感じられた。
 お裾分けにと入れてきたお重やお皿を、母はすぐにきれいに水洗いし、その中につけぎを1枚入れて「ありがとうございます」と言ってお返しした。
 つけぎは、昭和30年頃まではどこの家にもあったと思うが、一部の地方では昭和40年頃までは使われていたようだ。子ども心に、どうしてつけぎをカラになったお重やお皿に入れてお返しするのかが分からなかった。お重やお皿をカラで返すことは、失礼なことだというおしゃれな気持ちからかも知れないし、またこのような行為はこの地域の風習なのだろうと、当時は勝手に解釈して、その訳を母に聞くこともなしに月日は過ぎてしまった。最近になってカラになったお重やお皿につけぎを入れて返す訳を知りたくなった。
 つけぎは広辞苑によると、「スギやヒノキの薄片の一端に硫黄を塗りつけたもの。火を他の物にうつすのに用いた」とあり、この「つけぎ」は「火付け木」であり、また「いおうぎ」とも書いたとあった。
 そこで、昔の人は付け木の「木」を「気」に置き換えて「付け気」として、これを気配りと解釈し、また「硫黄」を「祝う」に置き換えて、カラになったお重やお皿をお返しするときに、お裾分けしてくれた人の気配りに対して祝福があるように、との謝意の気持ちをつけぎに託して添える行為になったのではないかと推察した。この推察に大きな誤りがなければ、昔の人は謝意を表すのに知恵を働かせて身近にあるモノを用いて対処したことに感心した。
 最近は、隣近所にお裾分けすることも少なくなってきた。その理由として、日本全体が飽食になったことや、核家族や共働きなどの影響もあり、隣近所との付き合いに疎遠になってきたことが考えられる。それに、オール電化などでマッチを使わなくなったので、つけぎの必要性はなくなった。昭和生まれにとって、隣近所を結びつけたつけぎの存在が懐かしく感じられる。

山形県 山形市医師会たより 第565号より

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