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医の倫理の基礎知識 2018年版
【医師と社会】G-2.異状死体の届出と医療事故調査・支援センター

今村 定臣(前日本医師会常任理事)


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 医師法第21条は、「医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と規定し、これに違反した場合には同法33条の2第1項により50万円以下の罰金に処せられる。この医師が負う「異状死体の届出義務」の性質について、戦後、現行医師法が制定された際の立法担当者の意図としては、死体、死産児には時として殺人、傷害致死等の犯罪の痕跡をとどめることがあり、これらを発見した場合には、犯罪捜査の便宜上望ましいこととして警察への届出義務が医師に課せられているものと説明されてきた。

 その後、平成期に入り重大な医療事故が度々報道されるようになると、医療事故発生時の対応に関して、厚生省(当時)等からいくつかのマニュアルや指示が示され、それらの中には、医師法第21条を引用しつつ、「医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う。」とするものまで現れる事態となった。

 このように本来、犯罪捜査の便宜のために医師が協力するという性質の届出義務を、傷害まで含めて医療過誤の疑いがある場合にまで拡大することは、少なくとも従来の医療界では想定していなかったことから、以後、医療事故による死亡と同条との関係をめぐる議論が百出することとなった。すなわち、具体的にどのような場合に医師は届出義務を負うのか、「検案して異状があると認めたとき」には、自ら診療していた患者が診療上の過誤で死亡した場合も該当するのか等の問題である。この点につき、日本法医学会が平成6年独自の「異状死ガイドライン」を発表したが、診療行為に関連した死体も異状死体としており、医療界の共通認識とする賛同は得られなかった。

 そのようななか、平成16年には最高裁判所のいわゆる「都立広尾病院事件」判決が出て、この問題をめぐる議論は一層混迷を深めた。医師が自ら直接関与した医療事故による死亡を異状死体として警察に届出ることは、自らの業務上過失致死の罪責を「自白」することにもつながりかねず、このような場合の同条の適用拡大には医療界から激しい反対意見が主張された。

 その一方で、医療事故を一律に業務上過失致死事件として刑事司法の場に委ねることを危惧する視点から、医療事故の原因を中立的に調査し再発防止に取り組む第三者的機関の必要性についても、さまざまな構想が提案されるようになった。

 こうした幾多の議論の末、医療法が改正され、平成27年10月、同法に基づく医療事故調査制度が開始された。病院、診療所等の医療従事者が提供した医療に起因して予期しない死亡が発生した場合に、管理者は医療事故調査・支援センターという第三者機関に報告をし、さらにその原因を当該施設内で自ら調査し、再発防止策を策定し、その結果を遺族に説明し、センターに報告をするというものである。従来の議論では、第三者機関は警察に代わり医療事故調査をおこなう役割を担うものとして想定されていたが、今回の制度では、その目的を医療安全の向上と事故の再発防止に限定したことから、医療事故の刑事捜査の問題や医師法第21条の異状死体届出義務については、これまでと変わらない解釈・運用とされている。

 したがって、異状死体の届出義務と医療事故の関係、さらに医療事故と刑事司法の関係については、現在もなお議論が続けられている状況である。そこで、今、医療界として取り組むべきことは、次の展望を拓くためにも生まれたばかりの医療事故調査制度を真に医療安全と医療の質の向上に資する仕組みとして育て、患者・国民の信頼を得ることである。

(平成30年8月31日掲載)

目次

【医師の基本的責務】

【医師と患者】

【終末期医療】

【生殖医療】

【遺伝子をめぐる課題】

【医師とその他の医療関係者】

【医師と社会】

【人を対象とする研究】

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